こころあそびの記

日常に小さな感動を

『天空の聖山』

 

 カメラマンが憧れの職業であった時代がありました。

 私もその一人。

 厳しい自然の中で孤独に格闘するという精神の強靱さが、憧れの根拠でした。

 

 

 自宅の本棚を整理していたら、「PABLO」の包装紙でカバーされた文庫版の写文集が出てきました。

 わざわざカバーしたくらいですから、当時の気持ちが察せられます。

 『 天空の聖山 中国大陸下巻』(白川義員著)です。

 この本には、ヒマラヤ、カラコルムパミール、天山、シルクロードなどが収められています。

 あらためて、ページを繰ると大好きな、雪山と太陽と月。それから朝焼けと夕焼けの空が堪能できます。

 なんで、下巻しか買わなかったのだろうと記憶を掘り起こしてみるに、多分お財布事情だったのでしょう。

 独りじゃかわいそうと、上巻を古本屋さんで見つけて早速購入しました。

 手にして分かったのです。上巻は桂林など、いわゆる中国水墨画の世界だったのです。

 それよりも天空に近い自然の景観を好むという私の嗜好は、何十年と変わらないものであることを再確認することになりました。

 

 

 作者の白川義員さんは惜しくも今春に逝去されました。

 この二冊の本に書き残された大切な言葉をお知らせしたいと思います。

 一つ目。

 故郷を思う気持ちは、そこに自然があるからで、それらと精神を交流させるから懐かしさに結びつく。その精神性の高まりがサルからニンゲンへの飛翔となったと思う。

 二つ目。

 たくさんの国を巡ってきて、風土と国民性や宗教は不可分と考えるに至った。

 苛酷な大海のように広がるシナイの砂漠からは、ユダヤ教イスラム教が。

 白髪三千丈という表現を使わせるに相応しい中国の自然の姿。

 すべては、生まれるべくして生まれた文化である。 

 三つ目。

 地球という宇宙船が、いかに鮮烈で荘厳で神秘的な美しさに満ちていることかを人々に紹介するのが私の仕事の目的である。

 

 

 釈尊が開いた仏教が、東洋の東の端にある小さな島国でなぜ花開いたのかを考えるとき、この国の風土との関係を思わずにはおれません。

 『こころ旅』『鶴瓶の家族に乾杯』などの番組でいつも驚くのは、どこを訪ねても変わらない穏やかな人情があることです。

 山が川がやさしいから、必然的に優しい人になれる。

 白川さんの仰る通りです。

 

 

 こないだ会った中国人留学生から、海を見たのは日本に来るときが生まれて二回目だったと聞いたとき、私たちとは想像以上に違うことを思い知りました。

 白川さんは最後に書いておられます。

 「このつたない仕事が末長い日中の友好と親善にいくばくかの役に立たんことを」。

 

 我が身が満たされて初めて隣人を理解できるといいますから、友好は、まず日本に生まれたことを心から幸せに思うことから始まると思っています。