こころあそびの記

日常に小さな感動を

龍安寺散策

 

 ナンキンハゼの白い実。落葉したあと、カラスたちが取り合いする日も近づいてきました。

 

 

 今日は立冬です。

 立春は冬の、立夏は春の、立秋は夏の、それぞれ前の季節のただ中にやってくるのに比べて、立冬は冬の足音が目前です。

 

 

 けさ、街路樹のトウカエデの落ち葉を手で拾ってゴミ袋に入れてる方を見かけました。

 トウカエデほど大きい枯れ葉は、掃いても箒から逃げてしまうから、手で拾わなければならないのですね。

 通行人に踏まれてしまったら、細かく砕かれて、もっと厄介になります。

 そんなことから、自然が教えているのは、空気の乾燥です。

 ハンドクリームに手が伸びたり、首筋がひんやりしたり。

 もう、立冬ですから、保湿と保温を心がけましょう。

 

 

 先週は、ちょっと遠出が重なりました。

 先ずは、龍安寺拝観記から。

 

 観光タクシーの運転手さんが、

 「東福寺永観堂みたいには混んでません」と、説明されてました。

 紅葉シーズンであっても、静かに拝観できるお寺です。

 

 

 ここは、足利将軍管領職であった細川勝元が、徳大寺公から山荘を譲り受けて創建したお寺です。

 ですから、肥後18代当主である細川護煕さんが襖絵を奉納されることになりました。

 六十数枚のうちの八枚が、只今、拝見できます。

 政界引退後、絵画、書、作陶など、幅広い制作活動は驚くばかりです。

 「ひとは、良いものを見て育ったからだと言われますが、私自身は、野山を駆け回った記憶が書かせるのだと思っています」

 と、書いておられたように記憶しています。

 その言葉が表しているように、作品はどれも若々しくて、愛嬌があります。

 この襖絵の龍も、威圧感よりも未来に向かう明るさがあって、和みの龍の感があります。

 

 

 襖絵の前に書いてあった説明は、次の通りです。

 「この地は、北は衣笠山を覆い、南は遥かにひらけて一陽来復より運気めぐること早し。

 池の面は、水鳥が群集まり、玄冬の眺めをなす」

 

 つまり、この地は風水の「四神相応」であることを伝えています。

 北に衣笠山を背負っているから、寒い北風を遮ってくれます。南にひらけて、太陽の光が燦々と降り注ぎます。

 残りの東西は、東に清流、西に街道があれば、鬼に金棒です。

 平安京は、北に船岡山、東に鴨川、南に巨椋池、西に山陰道と、「四神相応」の土地だから、何百年と都であり続けることができたといわれます。

 また、東京が利根川を東に迂回させたのも、そんな理由があってのこと。

 今でも、家を建てる人が憧れる条件であることに変わりはありません。

 

 

 有名な禅語「吾唯足(るを)知(る)」と刻まれたつくばいも、ここにあります。

 今日、健康であるのに、もっと元気になるためにあくせくしている現代人には耳が痛い言葉です。

 

 

 冬のお茶席に欠かせない「わび助椿」。こちらが日本最古だそうです。

 

 

 帰りに、「池の面には水鳥群集まり 玄冬の眺めをなす」という言葉通りの池めぐりをしました。

 前を外国人の男性が歩いておられました。

 話しかけるほど語学に自信がなかったので惜しいことをしましたが、もし話せたら、この静けさと水鳥たちが浮かぶ様子をどう感じられたかと、聞いてみたかったです。

 外に対しては、誇らしい気持ち。内に対しては平安が続きますようにと願ったことでした。