こころあそびの記

日常に小さな感動を

興福寺北円堂

 

 できた!

 ちょっと早いけど、クリスマス色の我が家です。

 松ぼっくりは娘が、ドングリは家族みんなで集めました。

 小さな実は、「栂」です。

 

 

 大きな御神木の枝先にこんなにかわいらしい実が付いて、中の種が散ったら落ちてきます。

 たくさん落ちてきます。

 樹木のパワーを見せつけられます。

 

 

 なぜか心惹かれる『興福寺北円堂』。

 去年は行きそびれて無念に思っていたお堂です。

 先日、天理に講演会に行く途中、帰りはどこに寄ろうかなと考えました。今から、勉強しに行くのに困ったもんです。

 ネット検索したら、なんと北円堂の夜間拝観に間に合いそうではありませんか。

 夜の奈良を歩くのは、ちょっと気が引けましたが、秋期公開にはリミットがあります。また今度、はないと思えば今日しかありません。

 

 思い切って、初めての夜間拝観に行ってきました。

 昼間の光線では見えないものが見られました。

 人の目は不思議です。光溢れているときの方が見えるはずなのに、夜の限られた灯りの中で見えるものは昼より美しいのです。

 極彩色がまだまだ残っていることや、細工されている模様の精度に感動を覚えました。

 

 同行二人。

 拝観入り口で中学生に間違えられていた二人連れの大学生。私は、そのトラブルは、係の方の優しさと感じ取っていましたが、彼らは頑として、大学生!と言い張ったために、結局、大人料金で入場してきました。二人の解説を聞きながら拝観できたことがありがたいことでした。

 二人のうちの一人が博識のようで、 「仏像は白檀の木で彫るんだ」と相方に説明しています。

 感心したのは、「見てみ。あの襞の感じ。裸の体に、今、着物を着せたというふうに見えるやろ。木で彫ってるように見えるか?だから国宝、一級の彫刻なんやで。」

 鑑賞ポイントです。確かに、柔らかい襞が今にも揺れだしそうでした。

 

 彼らが出て行った後、もう一度堂内を巡りました。

 

 

 大好きな無著菩薩像と世親菩薩像。

 このお二人の兄弟はあのガンダーラで生まれた仏僧で、弥勒菩薩から唯識論を学んで、法相宗を確立した二人とされています。

 

 「不東」は細川さんの雅号ですが、これは、三蔵法師が中国からインドに苦難の旅をしたとき、願いをかなえるまでは決して東に向いて帰らないという決意表明の言葉です。

 三蔵法師は仏の教えのうち何を学びたかったのでしょう。それは、唯識という哲学だといわれます。

 簡単に「色即是空」というのでは、理解できない、深い真理です。

 その元を確立した偉いお坊さんが、無著、世親だと知ると、あの仏像に彫られたお顔のシワへの理解が深まります。

 

 忘れてはならないのは、このシワを刻んだ仏師、運慶です。その頃はもうお年だったのでしょう。実際には、無著像は六男の運助が、世親像は五男の運賀が父親の指導をうけて制作したといわれています。

 鎌倉の彫刻だから、このような写実性のある仏像を拝めます。おかげさまで、拝顔の度に、その苦難の修行に思いを致すことができ、ありがたいことです。

 人々の幸せのために、自らを難行苦行に追い込む決意をした人が実在したと思うとき、もっと謙虚であらねばと思うのです。