「 まっかな秋
まっかだな まっかだな
つたの葉っぱがまっかだな
もみじの葉っぱもまっかだな
沈む夕陽に照らされて
まっかなほっぺたの君と僕
まっかな秋に囲まれている 」
今や、『もみじ』より口ずさまれているこの唱歌は1965年生まれだそうですから、私が小学生の頃はまだ、生まれていませんでした。だから、ちょっと馴染みが薄かったのですが、その後、子ども達の教科書に採用されて、彼らに教えてもらった秋の歌です。
この情景は誰でも実感できるところがみそです。子供だって分かる歌詞が魅力です。うちの子も幼稚園時代、大きな声で秋になったら歌っていたことも、今となっては懐かしいことです。
いよいよ晩秋になって、どこかに行かなくても、身の回りにある草も木々も真っ赤に紅葉しています。家から見える山々の色づきも日に日に濃くなってきました。
歌詞の感動がそのまま身近に味わえるから、『まっかな秋』は、これからも歌い継がれていくことでしょう。
東京で一番高い山ということで、準備されている栞も力作でした。
落ち葉を拾って、絵と見比べたら木々の名前が分かるという趣向に、この山を守っていこうという気概が感じられたことです。
ところで、万葉の昔から、春と秋のどちらが好きですかと、遊び心で論争が繰り返されてきました。
徒然草19段に、「もののあはれは秋こそまされ」と見えますから、この国の秋は春に勝る美しさがあり、また、それを理解する人の情緒も変わりがありません。
そして、そんな民心の余裕がこの国のかたちだとしたら、誇らしくも感じるところです。
豊かに、ハラハラと落ち葉が降ってきて、足下に錦絵を書いてくれます。
「たとえば君
ガサッと落葉
すくふやうに
私をさらって行ってはくれぬか」