こころあそびの記

日常に小さな感動を

自然の一員

 

 「今年の紅葉は特にきれいやったわ」と、雨の中、京都めぐりをして帰ってきた娘が言います。

 それはね、久しぶりに会えた友人と行ったからかもしれないよ、とは口には出しませんが、ひそかに思ったことでした。

 こんな思い出作りが長い人生を彩ってくれます。ふと思い出す瞬間が心を温めてくれることでしょう。

 

 

 すすきが穂先から白くなって、種を飛ばすことを、今頃、発見して面白がって見ています。

 「薄」を“すすき”と読むのはなぜか知りたくて、これも今更ですが辞書をひいてみました。

 中国から伝わった「薄」は、広く敷きつめるところから草原、そして”薄い“の意味になったとか。

 例によって、「すすき」と読むのは国字だそうですから、日本人の応用力に感心します。

 

 「山は暮れて野は黄昏の薄かな

             蕪村」

 

 蕪村は日が落ちる時刻がお好みだったのでしょうか。

 今でも、西日を背景に薄野を撮影した写真をよく見かけますから、人が感度を上げる絶景時刻に変わりはないようです。

 

 

 さて、柄にもなく、『人間金子兜太のざっくばらん』という本を借りてきました。

 手に取ったのは、表紙に添えられたメッセージが気に入ったからです。

 

「人間は自然そのもの。だからこそ『生きもの感覚』で生きよ」

 

 杏☆漢方のテーマである「人間は大自然の一員である」と同じことを仰っています。

 俳句を詠む作法は存じ上げませんが、心を自然の姿に映して、あるいは借りて作られるのではと想像します。

 例えば、芭蕉が発見した「不易流行」。

 うつろう季節と共に旅をすれば、それは、自分と自然の同行二人です。変わりゆくものの発見と、変わらないものの確かさを心に刻んだことでしょう。

 

 「この道や行く人なしに秋の暮れ」

 

 自分が発見したことの幾分も、周りの人に伝わらないことの孤独感が残されているようにも見えます。今でも、SDGsなんて叫びながら、その実、自然との共生の本当のところは理解されていないようです。

 

 

 私たち人間は、自然に支えられて生きている。こちらからお手伝いできる部分はほんの少しだけです。

 恵みを無限にもつ自然と友達になれば、それだけで、こころ救われて生きることができます。

 忙しくて自然まで見る暇がない、という言い訳は我が身を傷めているに等しいことです。

 金子さんが唱えられた「生きもの感覚」とは、共に生きているということを肌で感じることのように思います。