昨夕、犬と散歩してたら、風が耳元を音を立てて吹き抜けました。この風が止んだら雨になるんだっけ。案の定、明け方に強い雨。そして、朝の空は雲のお布団がびくとも動かず浮かんだままです。
こんな日は、雲海観察の絶好日なんでしょうね。
雲海が溢れ出して峰を越えて流れて滝雲になるところ、いつか見てみたい。
図書館で、衝撃的なタイトル『すべての医療は不確実である』(康永秀生著)に目が止まりました。今の医療の問題点が書かれています。
真面目に医療を信じている人にとっては、そんなこと云われたらびっくりするかもしれません。
しかし、どんなことも確実はないのと同じように、医療だって絶対はないことを知って欲しいという願いがこもったご本でした。
医者を全面的に頼るということは、自分のいのちを他人に丸投げしている状態です。
最期まで自分として生き抜きたければ、自分のいのちは自分が責任を負うくらいの覚悟がいります。
ところで、この本では漢方薬にも触れられていました。
漢方薬というと、なにやら怪しげな奴というふうに思われた時代がありました。
でも、「赤ひげ先生」でも分かるように、江戸時代までは中国から入ってきた漢方の知識をベースにして、日本独自の工夫を加えて治療に当たってきたのです。
それが、どこで西洋医学一辺倒になったかというと、明治政府が西洋医学を学んだ者に医師免許を与えると決めたからです。
そこから、漢方は長い間、認められない医療でした。
多くの代替医療と同列の憂き目にあってきました。
ところが、2001年から、医学部でも東洋医学を教えるようになって、やっと格上げになったばかりです。
しかし、中国では医学部が西洋コースと漢方コースに別れているくらいですから、東洋医学を本格的に勉強するには、長い修養年限が必要です。西洋医学の片手間に学習できるほどのものではありません。
西洋医学は、主に検査値と画像診断で病気を判定します。が、東洋医学では、患者の全体像を観察することから始まります。それは、三分診療では不可能なことです。
「漢方を勉強したい」と先生に相談したら、「それなら、中国哲学を勉強しないと始まらない」と指導を受けた、と友人が話してくれました。
人が人を診るという東洋医学を真剣にやろうとすれば、そんな勉強も必要です。合わせて、動物的な勘もいります。
素人でも勘がさえた人なら何が効くかが分かるのが漢方薬です。昔の人がそうであったように。それが胡散臭いといわれる原因でもあり、面白いところでもあります。
私は、よほどでない限り薬は飲みませんが、東洋医学のそういう奥深いところが好きです。
自分の体のことなのに、他人に健康という太鼓判押してもらわないと不安という現代人は、その端緒からして、どこか不健康だと思いませんか。