孫たちが登校したあと、朝から娘がミシンで何かを縫っている様子。
「なにしてるん?」
「信じられへん。一限目の家庭科でアームカバーがいるんやて。行くときになって言うんやもん。」
時刻は8時を回っています。ほんとに間に合わせるつもりなのでしょうか。
まずは、用布を探さなくてはならないし、ゴムも要ります。大丈夫?
その上、時刻は刻一刻と一限目に迫ってきます。
「できた!持っていってくるわ。」
「ええっ。気をつけてね。」
どうしたことか、その時、突然母を思い出しました。
「鏡よ鏡よ鏡さん。この世で一番美しいのはだぁれ?」と常に問いかけているような母でした。
ですから、孫の中でたった一人の女の子だった娘は、母に苛められて育ちました。母なりの女の子の育て方だったのかもしれませんが、娘にしてみれば、たいへんなお婆さんと出会ったものです。
それが、大人になってからは、娘を評価するようになりまして、ほっとしたところであの世に旅立ってしまいました。
ようやく話が通じるようになった娘と買い物や旅行に一緒に出かけたかったろうと、思いを残しているのではないかと思い出したりしています。
だから、なぜか、今朝の頑張る娘の姿を見たら、褒めてくれているのではないかしらと泣けてきたのです。
厳しい採点しかもらえなかった娘でしたが、こんなにいいお母さんになれたよ。私もちょっと自慢したくなる娘です。
その後、お駄賃ではありませんが、二人で映画を観に行きました。
新海監督の最新作『すずめの戸締まり』。
監督自身が「最高作。これでだめなら・・」と仰っている作品です。
彼がどうしても訴えたいことが分かったように思いました。
自然は、ただ存在しているのではなく、そこに人の思いが絡んで姿を露わにし、また人の力が及ばないところには神の意志が働く。
三者の絡み合いが、目に見えないところを動かしている。
見えなくてもいい。その何かに謙虚になって、いつも祈りを捧げよう。
そんなことを、『天気の子』と合わせて考えてしまいました。
冒頭、”宮崎(弁)“からスタートして、神武東征に倣って、東へ東へ。
東日本大震災の応援歌として、後世に残るストーリーだと思いました。
そして、鑑賞の後に、分かりやすいメッセージが、だんだんに色濃くなってきた気がします。
「お母さんに送った雲さぁ、アッコちゃんも見てんて」
スクリーン上で観た雲と似た雲を見たと私にメールしてきた娘。丁度、同じ時間に彼女の友達も見たようです。
こんな同時性を喜べるこころを失わなければ、新海監督の望まれるところに留まることができるように思います。