こころあそびの記

日常に小さな感動を

目に見えないもの

 

 そろそろ西に三日月が見える頃のはずと、空を見回したらありました!

 気づく人にだけ見える月齢2.2の細い細い眉月です。

 沈んだ太陽が山の向こうから照らしているとわかる宇宙絵巻にしばし見惚れます。そのうちに、空の色が濃くなるにつれて月は輝きを増していきます。

 空との交信が自分を忘れさせる時間です。

 

 

 さて、大形徹先生の講座では、いろんな方にお目にかかれるのも楽しみの一つです。

 そのお一人。昨日は八十歳を越えて、まだまだ向学心に燃える男性とお話しました。

 彼は、定年後、通信教育や各種講座に積極的にトライされています。

 そんな彼から昨日は少し弱音を聞きました。

 「腰が痛くてね。整形の先生に杖を持つように云われたんです。右手で持つでしょ。そしたら、左の肩がこるんですよ。」

 すでに、難聴の症状を持つ彼ですが、来春の大学院入学に意欲を見せてくれたことがうれしいことでした。

 

 そんな話から、「腎」のことを思い出しました。

 

 

 健康なときは、ほとんど意識しない「腎」ですが、中医学ではその働きはいのちに直結する役割を果たすと考えられています。

 その機能は、

①精を蔵し、成長、発育、生殖を主る。

 精とは目に見えない大切なもので、西洋医学の概念にはないものです。体を調節するホルモン系や免疫と関係ある深い働きをします。

②水を主る。

 天地に循環する水と同じように、体内で水を体全体に行き渡らせ、要らない廃液を棄てるというのも「腎」の働きです。

③骨を主る。

 成長、発育、成熟、老化のすべての過程を見守ります。

④耳、排尿、排便、毛髪、生殖に関係します。

⑤納気を主る。

 肺で取り入れた清気を、腎に納めることで呼吸作用は順調に行われます。深呼吸して下腹まで届くようにすることは、大切なことと分かります。

 

 補足すると、「腎」には、親から受け継いだいのちの元といえる“精”が蓄えられています。

 若くて意気盛んなときには、自分ひとりで頑張っているように思うものですから、親と自分とが繋がっていることなど意識することさえありません。ところが、年をとるほどに懐かしくありがたく感じるようになるのは、体の中に親がいるからだったのです。

 自分が生きてる限り、体の中から私たちを守ってくれている。

 老年期とは、そんなことを素直に気づけるようになることに意味があるのではないでしょうか。

 

 

 視力が弱り、耳が遠くなり、腰や膝が痛い。歯が抜けて、白髪や脱毛になるのも、みんな老化のせいです。

 生まれて、成長して、老化する。

 自分の身体はそのすべてを見守って伴走してくれています。

 いつも思うのです。いのちを生かすのは生き方であると。