どこからか歌声が聞こえてきます。音に誘われて歩いていくと、小さな「教会」がありました。
来月のクリスマス会の練習でしょうか。讃美歌ではないように思いました。ギターの伴奏に合わせて楽しそうに歌っておられました。
玄関脇に掲示されているポスターの色合いが、いかにも聖夜の温かさを感じさせるものだったので、しばし、足を止めて読んでしまいました。
天上には神様がおられて、地上には祈る人々が住まっている。
砂漠で生まれた宗教らしさが、天と地を分けているところに現れているように感じました。
でも、その厳格さが限りない美しさにも通じるわけで、そこに憧れの世界が存在します。
少しでも近づきたい。諸人の願うところです。
片や、日本の神様たち。
近くの「牧落神社」の境内に、「武内宿禰」と、「お稲荷さん」に並んで「久延彦(くえびこ)」が祀られています。
この神様のことを、長い間、いのち長らえる神様かと思って、今日も元気に過ごせますように、なんて的外れな願い事をしていました。
ある時、なんか違うなぁと調べてみたら、『古事記』に登場する知恵の神様でした。
大国主命が国づくりをしているとき、海の向こうから小さな神様がやってきました。
誰もその方の名前を知らず、多邇具久(たにぐく)が、「久延彦なら知っている」と言ったので、尋ねてみたら、「あのお方は神産巣日神(カミムスヒノカミ)の子の少彦名命(スクナヒノナノミコト)です」と答えたというのです。
久延彦は”かかし“を神格化したものとか。かかしは一日中田んぼの中に立って世の中を見ているから、天下のことは何でも知っているとされたようです。
そこから、田の神、農業の神、知恵の神となりましたとさ。
ちなみに、大国主命に久延彦に訊いてみると良いと進言した多邇具久はヒキガエルです。
ヒキガエルは地上のどこにでも生息して国土の隅々まで知っているから神様にしてしまうという発想が、島国日本にあることにびっくりです。
山川草木悉皆成仏。すべてに神が宿ると考えたこの国の人は、ヒキガエルやかかしさえも地上に共に住む同朋と考え神格を与えました。
この世に生きているのは自分だけではない。みんな一緒に生きている。
そのように考えた優しさが神話に残っています。今こそ、後世に語り継ぎたいお話です。