寝たら忘れる、とか云われるのに、今朝、起きて直ぐに頭に浮かんだのは、解し難いなんともいえない思いでした。
生老病死。この順番をしれっと話すことのできる私は、生来の薄情者だという自覚は十分すぎるほど持っています。
それは、人と関わることが下手くそで、気の利いた言葉の一つも持ち合わせていないということと無関係ではありません。
「杏☆漢方セミナー」がスタートしてから、順調に回数を伸ばして、もう少しで100回に到達しようというところまできました。年数にして、10年です。
健康に、自然に、興味を持って集まってくださる方々に感謝しかありません。
その中心メンバーのお一人にK氏がおられます。
初回から参加下さって、たくさんのアドバイスをいただきました。共有する主軸は、自然を愛する心でした。その心を大切にされているからこそ、この拙いお話し会を継続させてあげようと見守ってくださったことをありがたく受け止めてやってきました。
そのK氏が昨日、「ええ齢になりましたから何か飲んでおきたい。何かおすすめはないですか」と切り出されました。
健康は作為的に何かをしたから成るものではないことを、よくよくご存知の彼です。その時に気づけば良かったのに、長々と「毎日を楽しく過ごす極意」などと、ご承知なさっている話を続けてしまいました。
そうじゃなかったのです。彼の思いは切迫していたのです。にこやかにいつも通りのお顔で話されていたために、深く読みとれなかった自分を恥じました。
「来月、手術をする」と最後の最後に告白されたときは、気持ちが凍りついてしまいました。
この回が始まって十年が経過したということは、参加者は10歳年を召されたということになります。
脳出血を発症された方、骨折される方、癌闘病中の方、私を含めて認知度が低下するなど、老年期の変化に襲われることが増えてきた現状を否応なく見せられています。
わかっているつもりでも、K氏の病は衝撃でした。
目が覚めても、なんかなぁ~という思いが拭えません。
なにかの病がいのちを襲います。それが、まともな順序ですから、受け入れるしかない。なんて、薄情者にしかいえない言葉ではないかと思ったりしています。
当のご本人から、「大丈夫ですから、また来ますから」と、反対に気遣われる自分を本当に情けなく思ってしまいました。
どうか、手術が成功して無事に帰って来てくださいますよう祈るしかありません。
祈りとは、祈られる人のものだけでなく、祈る側の人間の救いでもあることを感じています。