こころあそびの記

日常に小さな感動を

稲盛フィロソフィーといのち

 

 雨上がる。そして、白い雲間から冬のやわらかい光が漏れてきたら、お出かけ時です。

 コタツで丸くなってないで、外へ出ておいでという誘惑に抗しきれず、出て行くと。

 

 

 昨夜の雨で増水した川は幾分流れが早くなって、鳥たちはどこかに避難したようです。

 確認できた数はいつもより少なかったのですが、貴重な光景を観察することができました。

 それは、カルガモの青い風切り羽です。

 留鳥になったカルガモが飛ぶ姿はなかなか見られないものらしく、秘められた風切り羽といわれているそうです。

 せっせと嵐のあとの羽毛のお手入れに余念のない様子。とその時、羽ばたいて水切りした瞬間、青く光る次列風切り羽が見えたのです。茶色の体にオレンジ色の足。地味に見えるカルガモが目の覚めるようなチャーミングブルーを隠し持っていたとは。創造主は無限のアイデアをお持ちです。

 

 

 お話会のメンバーに稲盛和夫さんを深くお慕いされている方がおられます。

 そんな方がメンバーにいてくださることを誇らしく思っています。

 

 ところで、稲盛哲学の方程式といえば、

「人生=考え方×熱意×能力」

が、つとに有名です。

 「能力は頑張り次第とはいえ、その差はびっくりするほどではない。総合力は考え方にある。」

 と、どこかに書かれていたように記憶しています。

 考え方を伸ばすことが、歴然とした差を生むと考えられたからこそ、「稲盛フィロソフィー」の誕生に結びついたように思います。

 

 

 そこで、ふと、この方程式を“いのち“に当てはめたらどうなるのかと考えました。

 「能力」は、差し詰め、健康法や服薬や医療との関わり方、そして、栄養学などを学んで、より健康に暮らすための知恵をどれだけ持つかといえるのではないでしょうか。

 これは、壮年期、子育て世代には大切なことだと思います。酷使せざるを得ない体とのつきあい方は学んでおく必要があるでしょう。

 しかし、老年世代のウエートは、考え方の方にシフトすべきではないかと考えます。

 

 

 漢方学は、A薬は何に効くという前に、先ず哲学から学べといわれます。

 知識は上積みするものではなく、下支えから学ばねばならないと捉えます。

 

 最期まで生ききるために何が必要なのか。それは、病気にかかろうが、かかるまいが関係はありません。

 方法や知識ではなく、いのちをどう考えるかということのように思います。

 とても曖昧な表現ですが、稲盛和夫さんの哲学を当てはめると、その大義が見えるようです。

 今、一瞬のためでない持続可能な自分を支える哲学を、一言でもいいから、持ちたい。持てばいのちを全うできるような気がしています。

 ここでいう”いのちの全うする“とは、不老でも、長寿でもないことを言い添えて。