こころあそびの記

日常に小さな感動を

甘え上手

 初氷。

 

 初雪。

 

 こんな日こそ散歩へ。

 

 

 写真を撮ろうとスマホを構える足元が、すくわれそうな強風でした。

 でも、この厳しい冬日の自然と対峙している実感がいいんですよね。北風に向かって歩くことが、生きてる証のように思われて元気が湧きました。

 

 

 近頃、これはいけないなぁと、頭をよぎることの一つに甘えがあります。

 たとえば、マスク生活でお化粧をさぼって外出したときなどに、年寄りという言葉に甘えてるなと自戒しています。

 

 子どもと病人の甘えは生命維持に関わるものですから、これらは認められます。

 しかし、年だからという甘えは、ともすると底なし沼に沈む可能性がありますから、なんとか踏みとどまらなくてはなりません。

 

 

 閑話休題。学生だった頃、自分より上の人の年齢は、ひっくるめておばさんなり、おばあさんでした。

 それが、自分の年齢が上がるに連れて、通り過ぎた年齢の人の年は言い当てられるようになり、今では、ほぼ、すべての人の年齢が分かるようになりました。

 一巡してみて初めて分かることがあるのです。

 

 そして、今、見渡すところ、どんな人を美しく好ましく思えるようになったかです。

 いくつになっても、衰えない好奇心と限界突破できる活力の持ち主?

 それは、見上げる存在ではありますが、普通人のお手本ではありません。

 どの年齢の人にも愛されるのは、和顔の持ち主ではないでしょうか。

 その証拠に、老人施設でスタッフに可愛がられるお年寄りは、いつもニコニコ笑顔で素直な人です。

 和顔。

 笑顔で周りを和ませることほど、素晴らしい生き方はありません。

 

 こういう人は決まって甘え上手です。

 素直だから、助け船を出しやすいのでしょう。

 

 

 以前、年を取ったら甘え上手にならなくてはならない。と諭されたことがあります。

 たとえば、車内で席を譲られたとき、遠慮する人と素直に座る人。はたまた、したり顔で座る人。

 笑顔で、お礼を言って上品に座る人の美しい所作に、あんな人になりたいなぁと見とれてしまいます。

 

 いつか、甘え上手になって、あんな風に素直な振る舞いができるようになることが目標です。それが人生の上級者なのだと、心に刻んでいます。

 年寄りだから許されるだろうという甘えは、もちろん、論外です。