こころあそびの記

日常に小さな感動を

父と魚

 

 なんなん?

 うちの子たちが、競って年末に魚釣りに行くのは、なんでなん?

 上の写真は長男の釣果。

 

 

 そして、下の写真は次男の釣果。

 この二人が競い合うのは今に始まったことではなくて、生まれた時からライバルでした。母として随分悩みもしました。

 長らく生きていろんなパターンを見聞きすると、兄弟姉妹に生まれるのは、何かの縁があってのことのようです。

 今、そんな二人が、いがみ合い、果たし合いをとことん済ませて、共に家庭を持ち、親となってお互いに和める相手になれた様子を見るにつけ胸をなで下ろし、安堵できるところまで漕ぎ着けたことをしあわせに思っています。

 

 

 話は変わりますが、魚の話になると、必ず思い出すのは父のことです。

 戦争最中に両親を相次いで亡くしたとき、父は今でいう高校生で、遠隔地に遊学中でした。長男として大阪に戻ったものの、家長というには幼くて、右も左もわからず、下に三人の妹弟を抱えて路頭に迷ったと云います。この世に信用できる人がいないさびしさを語っていました。

 

 ですから、母と結婚してからは、義母であるおばあちゃんによく尽くす姿がありました。旅行に連れて行ったり、ご馳走したりして、自分の親にできなかった親孝行をしたのです。

 おばあちゃんのお誕生日やお正月間近になるとに、中央市場に魚の買い出しに行く父について行くのが楽しみでした。

 買ってきた魚をさばくところを横で見ていた私は、今でも魚をさばくことに抵抗はありません。

 私がさばくところを見ていた子どもたちもまた、魚に抵抗がありません。

 こうやって、些細な日常が見よう見まねで受け継がれていくのが、一緒に過ごした家族の形なのでしょう。

 

 

 日本のお正月は、そんなことを考えさせる時間です。

 大所帯に膨れ上がる日々は、「来てうれしい、帰ってうれしい」と云われます。若いときのように、十分にしてやれなくなることを思うと、辛くなります。

 そろそろ、助けてもらうしかないかと、一抹のさびしさを味わう年末です。