こころあそびの記

日常に小さな感動を

「えびすめ」とか「とこわか」とか

 

 昨年末に京阪百貨店で買ってきた塩昆布が目について、ふと、思い出したことがありました。

 それは、子どもたちがまだ小学生の頃に行った尾道でのお話です。

 あれは、千光寺だったのでしょうか。ハーハーと坂を上った先のお休み処みたいなところで、おじさんが昆布茶を振る舞ってくださいました。

 昆布茶といっても、粉昆布ではなくて、潮吹き昆布を一枚いれた湯呑み茶碗にお湯を注いでくださるのです。

 程よい塩味が汗の吹き出る体を癒やしてくれました。

 それ以来、娘がいたく好むようになって、家に帰ってきてからも度々せがまれたものです。

 それを思い出して、今朝、「いいもの入れてあげる」と出してみました。

 「おいしい!」という反応に安堵して、尾道を思い出しました。

 向島との間に横たわる尾道水道を眺めていると、そのおじさんが、「この景観を、”一衣帯水“というんですよ」と教えてくれました。

 文学や映画の舞台になる尾道の魅力は風景だけでなく、おもてなしの人情にもあるのだと、その時、知ったように思います。

 

 

 さて、その土地特有の歴史文化では、大阪もひけをとりません。

 昆布つながりで、昆布屋さんのホームページを見ていたら、昔の記憶が蘇りました。

 

 今では、デパートで買う人の方が多い塩昆布ですが、昔は、心斎橋筋に『小倉屋山本』と『松前屋』が暖簾を並べていました。その頃の贈答品といえば潮吹き昆布でしたから、今年はどちらにしようかなと迷った末に、行列の短い方にしたりして。

 小説家・山崎豊子といえば、小倉屋山本のお嬢さんでした。

 彼女の処女作『暖簾』は、当時の大阪が、いかに夢のある都市であったかが描かれています。

 アメリカンドリームさながらです。

 淡路島から十銭銅貨を握りしめて出てきた若者が、奮闘して夢を掴める町だったのです。

 そのわけは、今では語られることもなくなりましたが、浪速が海運で栄え、中でも北海道から来る海産物の集積地であったからです。天満はそのまた中心でした。

 商才のある若者にはチャンスが埋まった場所でした。

 

 

 今は昆布で出汁をとる家庭が減り、高価な塩昆布は日常的にお膳に上ることはなくなりつつあります。

 ご飯にかける“ふりかけ”は、次々と若者の嗜好に合ったアイデア商品が生み出されていますからなおさらです。

 でも、昔は、”ふりかけ“といったら、田麩(でんぶ)でした。

 私がなぜ、京阪百貨店で「永田昆布」を見つけて、買いたくなったか。それは、母がここの「かつお田麩」をまぶした昆布が好きだったのを思い出してのことでした。

 

 

 各家庭の食生活には、思い出が詰まっています。はてさて、私の子どもたちにはどんな思い出を残してやれることやら。

 「お母さんの弁当にお箸突っ込んだら折れたなぁ(笑)」

 三人寄ればひとしきり始まる語り草。

 親の心子知らず。ひもじくないようにギューギュー詰めたお弁当が、今のところ第一候補です。