昨日は鏡開き。
小豆をたっぷり炊きました。早速、お餅を焼いておぜんざい仕立てにしたり、今朝はあんバタトーストにしたり。
松の内もあと少し。
楽しいお正月行事が残り少なくなってきました。
ところで、先日、村田諒太さんがメンタルトレーニングを受けておられるドキュメンタリー番組を見ました。
ボクシングなんて誰がスポーツ種目にしたのでしょう。石があったら投げたくなるとか、棒切れが転がっていたらチャンバラを始めたくなるのが、人間の原始の好奇心だとしても、こわがりの私には信じられないスポーツ種目です。
以前、ある店で一緒に働いた若者がボクシング修行をしていました。
プロデビューして東京後楽園で試合をすると上京したものの、顎の骨を打ち砕かれて帰ってきたことがありました。顎は落ちたままで、食事もままなりません。
それでも、やめると言わなかった時、ボクシングに魅せられる人は別次元から生まれているとしか思えませんでした。
さて、村田諒太さんはIBF世界ミドル級王者ゴロフキンと対戦する前に、メンタルトレーナーに心を鍛えてもらおうとします。
「僕は、強い自分になりたくてメンタルトレーニングを始めたのに、終わってみたら、なんだ、素っ裸の自分になってしまってた」。これが結論です。
ロンドンオリンピックで金メダルを取ってから、世間に揉まれに揉まれて自分が何がしたいのかも分からなくなって浮遊したこともあったようです。
そんな自分はきっと心が弱いんだと思ったとしても不思議はありません。
「僕は自己肯定感が欲しい」
自己を全肯定する強い自分を見つけたかった。
ところが、自分を肯定するということは、弱いところをひっくるめたあるがままの自分を容認することだったのです。
世の中は、前向きな生き方を吉とする風潮が大手を振っています。
GOGOな生き方の下敷きに、悔しさをバネに、惨めさを糧に、恨みをはらしたいなどという思いがあったら、それは、ダメな自分をなんとかカモフラージュしようとしている弱い自分が隠れているのではないでしょうか。
あるがままの自分を受け入れて愛するには、覚悟とか勇気という強さを持つことが絶対条件です。
村田諒太さんが気づかれた「強い心とは、あるがままの裸の自分を認めることなんだ」という人生の命題。
若い頃はやんちゃくれだったという彼。それは、純粋の裏返しです。彼のことだから、今からの人生で少しずつ
本当の「自己肯定感」を理解していかれることでしょう。
そして、彼の場合、お家に名トレーナーが常駐されてる幸運があります。
そうなんです。彼を導き育てたのは奥様なのだと確信しています。