こころあそびの記

日常に小さな感動を

キリンと麒麟

 

 昨日、お目にかかった坪内稔典先生は、大のカバ好きで『日本全国河馬めぐり』というエッセイまで出されています。

 先生のエッセイには、あんパンや柿もよく登場します。

 それは、好きなものを見たり食べたりすることが、心のテンションを上げる作用があることに気づかれてのことです。

 私たちは気持ちに支配されて生きているようなものですから、気分の良し悪しが今日の健康に直結することは腑に落ちるところです。

 若いときから、好きなものだけ集めて生きられたらどんなに楽しいかしらと考えてきた私には、納得至極です。

 

 

 突然ですが、動物園で見られる動物では何が好きですか?

 いつの頃からか、夏は、白浜アドベンチャーワールドに行くことを恒例にしています。

 一番人気はパンダのようですが、私はウォーキングサファリが好きです。

 草食動物に餌を直接やれるところが魅力です。

 中でも、サイが大きな四角いお口で「グチョ、グチョ、」と音をたてながら食べるところは一見の価値ありますよ。

 

 ところで、幼い頃から動物園や図鑑でその姿を見て育った現代の大人は、もうどんな動物を見ても、驚かなくなっています。

 しかし、古い時代にキリンを初めて見た人は、なんと奇妙なとびっくりしたことが記されているのが、『キリン伝来考』(ベルトルト・ラウファー著)です。

 

 

 

 キリンはアフリカにしかいない動物でしたから、エジプトでは紀元前の王墓の絵にキリンが見らるのはわかる気がします。

 次に、古代ギリシャ、ローマにもたらされ、最後が東アジアですが、実際に中国に実物がやってきたのは、明代(1400年代)です。

 奇異な姿から、鳳凰や龍と同じように、古代の伝説上の動物であった麒麟を当てはめようとしました。

 丁度、南京クーデターの後、永楽帝の即位に合わせて持ち込まれたので、人々の平和への願いがこもったキリンの登場だったのでしょう。それが、「聖人が世に出る時に現れる」という表現になったようです。

 中国では現在、動物のキリンは、「長頸鹿」と書き、麒麟ではありません。

 さらに、日本では、「豹駝」(ひょうらくだ)と名付けたとか。

 馬でも、駱駝でも、鹿でもなくて、豹柄を纏っている動物。人々の驚きのほどが伝わってきます。

 

 

 首が長い。前脚が長くて関節なし。後脚のほうが短くて関節あり。体は豹柄に似た編み目模様。舌は長くてアカシアの葉をからめ取ることができる。歩き方が独特で、ムーンウォークみたいに優雅。声は出ない。

 

 これがキリンだという頭への刷り込みが終わった後の大人には感動がありません。

 神様が創ったとしか思えない造形を、無感動に見過ごすことが増えてきたら、要注意です。

 心が固まっているか、気分が落ち込んでいるかです。

 そんなときは動物園に行ってみるのもいいかもしれません。動物との目には見えない交流が心の目を覚ましてくれるかもしれないからです。

 

 日本で麒麟といえば、言わずと知れた、大河ドラマの『麒麟が来る』です。長谷川博巳さんの明智光秀。かっこよかったなぁ。

 セカンドバージンがまた見たいなぁ。なんでやねん!