こころあそびの記

日常に小さな感動を

『好意』に思う

 

 七十二候『水沢腹堅(さわみずこおりつめる)』。大寒の中候どおりの朝を迎えました。

 昨夜からアメダスで雲の動きを観察していたのですが、なぜか大阪府だけ避けて通る予想図を不思議に思って見ていました。

 太閤さんのおかげか、大阪湾のおかげか。どちらにしても、最小限の混乱で済んだことに安堵しています。

 

 さて、「人の好意は素直に受けよう」という『今日の占い』の言葉にドキッ。頑固はダメですよと、朝から手痛い気づきがありました。

 

 「好意」。いい言葉ですから、社会はなんとか人々の幸せを願って、手を差し伸べるシステムに奔走しているように見えます。

 ですが、その結果、してもらって当然という考えが蔓延しては、人間の幸せからは遠ざかってしまいます。

 

 

 朝刊に『ママがいい!』という本の宣伝が載っていました。

 保育所でも幼稚園でも、子どもが「ママがいい!」という場面は、私もよく耳にしてきました。ママがいいに決まっています。

 ところが、この本は「ママがいいという言葉を持たない子ども」の存在を危惧して書かれているのです。

 どういうことかというと、あまりに早く母親から保育所に預けられることによって、ママと確かな絆を結べずに育つ子がいる現実です。

 女性の社会進出もさりながら、養育費用の増大も原因かと思われます。

 3歳までは手元で、というのは今や夢物語になりつつあります。

 その結果、受ける側の保育所に人材が足りず、余裕がなくなって虐待が横行するというニュースは、健全な社会とは程遠いことを感じさせます。

 

 

 今朝の『正論』に猪木武徳さんが書かれています。

 「科学技術の発達は身体的な負荷を低下させた。だが、そのことによって人間の内部に隙間やキシミが生み出されている。人間はその痛みを何かで癒やしたい。」

 科学技術を社会システムと変えれば、私達の不安の在り方の原因はすべて同根であるように思います。

 

 さらに、「規則正しい街並みの方が優位であるといったデカルトの論理は説得的とは言い難い。自由の余白。人々の自発性が尊重されることが必要。」

 街の設計と幼児保育。

 なんの関係もなさそうですが、心を育てる点で共通するのではないかと思います。

 どんなに整備された環境であっても、自由意志いう観点を忘れてほしくないなぁと、また、老婆心です。

 自由な心から放たれてこそ、その好意には愛があり、隣人を優しくする気がします。