こころあそびの記

日常に小さな感動を

水鳥に誘われて

 

 芦原公園に鴨たちを見に行ってきました。

 オオバンキンクロハジロホシハジロなど千里川では見られない鳥が、池を周遊しています。

 明日から2月。

 彼らの旅立ちも近くなりました。そう思うと、名残惜しくて、何度も足を運びたくなってきます。

 楽しませてくれてありがとう。

 

 

 今日はカイツブリを見かけませんでした。

 別名、鳰(にお)です。

 琵琶湖のことを鳰の湖というのは、水に潜ったり浮き上がったりするカイツブリが年中見られたからでしょうか。

 ちなみに、「鳰」は国字です。水に入るとは、この鳥の特徴をうまく表現していることに感心します。

 

 小学生の頃、琵琶湖畔にある「立木観音」というお寺に、毎年お詣りしていました。なぜ、そこでないとだめだったのか。今では、知りようもありません。

 八百段の階段が続いて、しんどいお寺参りでした。

 登りきった本堂からは、きっと美しい琵琶湖が眺められたのでしょうが、そんな余裕もない子どもでした。

 今年は、開山された弘法大師さまが生誕されて、1250年の年だそうです。   

 お大師さまが拝める日があるとのこと。行って、「立木観音」から琵琶湖を眺めてみたいものです。

 琵琶湖を眺めるといえば、数年前、長い階段で有名な「長命寺」から琵琶湖を臨んだことがあります。その時はバスガイドさんに促されて見たような。

 それは、随筆家・白州正子が、この「長命寺」から見る琵琶湖を絶賛していると知ってのことではなかったかと、今にして思います。

 

 

 雅な京都でもなく、渡来文化の奈良でもなく、港町神戸でもない、滋賀という場所。

 「なまじ発展しなかったために、古いものが古いままの形で遺っている」と、滋賀をこよなく愛した白州正子が書き残しています。

 東海道新幹線の駅がない県として、いつも話題になります。それが今に始まったことではないから、滋賀県は静かに熟成したといえないでしょうか。 通過県であったことで、毒されなかったことは、かえって、ありがたいことだったのです。

 自然が遺ったことで、その中に宿る気配は畏怖を感じさせる形で今もあるといいます。

 山、水、神、仏。

 すべてがおわします。

 

 

 白州正子さんのエッセイを手引きに、ゆっくり周りたい琵琶湖周遊です。ついでに、彼女の書に登場しない湖北の水鳥に会いたいなぁ。

 

 かいつぶり残照の波に紛れたり