こころあそびの記

日常に小さな感動を

『信』の点検

 

 朝の寒さにふるえあがり、ダウンを着て散歩に出てしまいました。あつくて往生したのは、予報を信じなかったせいではなくて、ただのズボラです。

 目には見えないゆっくりとしたスピードで、やわらかかった日差しに勢いが戻ってきました。

 

 

 今朝の朝刊の「今日の占い」は「安易に人を信用しないこと」でした。

 『信』は私の好きな字です。相手がどうであれ、自分は出会った何かを素直に信じられる人でありたいと念じています。

 ですから、今朝の占いの言葉にはちょっと引いてしまいました。

 

 

 ところで、同じ「信」のつく熟語に「信頼」があります。

 この言葉は憲法前文を暗記させられた学生時代、穴埋め問題の定番でした。

 

 「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

 

 難しい議論は、憲法学者や政治家のの皆さんにお任せして、庶民の生活に当てはめて考察してみると。

 

 

 私が子どもの頃は、対面販売でした。お金と引き換えに、買い物かごに店の人が商品を入れてくれます。それで、商いは成立していました。

 それが、今や、棚から勝手にピックして、セルフレジで清算するシステムに変貌を遂げています。

 この変化を支えているのは「相互の信頼関係」しかありません。

 民度が低い間は不可能です。互いの「信頼」度が向上したから可能になったシステムです。

 

 先日の留学生も、日本の「回転すし」に、興味深々でした。

 「こんな光景見たことありません」と。

 店と客との間に揺るぎない「信頼」があってこそ成り立つ形態だから、成熟した社会にならないとできないのです。

 ところが、最近、それを覆そうとする輩が横行しているといいます。恥ずるところはないのでしょうか?

 社会で生きていく上で、信用はとりわけ重要なファクターであることは、大昔から不変です。そこを崩して、この先どうやって世間に顔向けできると考えているのでしょう。

 甘い処分では納得できないという意見が多数を占めているのも仕方のないことです。

 

 

 翻れば、若いエネルギーの発散は、いつの時代にもありました。

 学生運動、暴走族、学校の荒廃。朝、学校に行ったら、黒板がない!あらら、プールに浮いていた。なんて話も笑い話のように伝わっています。

 そのたびに、ルールを厳格化して凌ぐものの、整備するほど、行き場をなくしたエネルギーが思いもよらない形で噴出してきます。

 

 別件では、ムカつくからと、走行中の車の前に出た暴挙もありました。自動車学校でいの一番に教わった言葉を覚えてないのでしょうか。

 「交通は信頼関係で成り立ちます」

 赤信号側が止まるから、青信号側が安心して横断できるのです。

 その大前提は一人一人の「信」にかかっています。

 

 

 路上にツバを吐く人がいた時代に戻りたくありません。みんなで清潔意識を共有したら、こんなに美しい景観になったではありませんか。

 民度が高いことは、日本の誇りです。

 心荒まないように暮らしたい。みんなが、そう願っていると信じています。