今日は「節分」です。
季節を分ける日。一年に四回あるはずですが、冬から春への転換は人の心に及ぼす影響力が強かったせいか、「節分」といえば、立春前日のイメージがあります。
この日は、鬼が大活躍します。
娘が勤める保育園でも鬼さんが出るようで、「今日に限ってこわがりの子ばっかりやん」と出勤していきました。
さて、なぜ節分が鬼退治の日になったのでしょう。
文武天皇の御世に、疫病が流行って多くの犠牲が出たために、鬼やらいを始めたそうです。
それは、「周礼」という紀元前に書かれた儒教経典の一つに載っている行事を起源としています。
「方相氏掌蒙熊衣皮黄金四目玄衣朱裳執行戈揚盾」
先頭に見える「方相氏」とは。
手を熊の皮で覆い、金色の四つ目、黒い衣と赤い裳を着け、戈と盾を持っていると書いてあります。
方相氏はまず大声を出し、戈で盾を三回打ち鳴らします。
そして、桃の弓で葦の矢を放ち、桃の杖で大地を叩きます。
何をしているの?
すべては、鬼をはらうためになされる所作です。鬼は驚いて退散するというわけです。
平安末期には衰退したものの、江戸時代には、民間で復活しています。
今でも、尖った柊の葉に、ごまめの頭を付け入り口に挿しておられるお宅を見かけます。
鬼の目を突く仕掛けで、鬼の侵入を防ごうとする仕掛けです。
屋内では、柱の陰などの暗闇を照らし、明るくしてお香を焚いて節分の夜を過ごします。
古来、人間は暗闇と邪気を恐れてきました。
大寒の最後夜は、一番深い陰の時間です。真っ暗闇に乗じて、忍び込んで来ようとする邪気を払おうと考えた人々の願いは今にも通じるものです。
コロナ禍の今だから、昔の人の思いは痛いほどわかります。
だから、「節分祭」は午後に行われたり、神社によっては、暗くなってから執り行われます。本当は日付が変わろうとする「戌の刻」に行うべきところ、安全のために設定したものと思われます。
最初に上げた「方相氏」。
夜間に京都まで行けないなぁ、と調べたら、なんと、我が家からは今年の恵方に当たる「春日神社」で見られるとあるではありませんか。
疫病ばやりの今。昔の人と気持ちを同じくして追儺に参加したいと思っています。