兵庫県立美術館に行ってきました。
小磯良平さんの『斉唱』。六甲アイランドの小磯良平美術館で見て以来、何十年ぶりの再会でした。
もっとも今日のお目当ては、梅舒適さんの収集された書でした。篆刻という字は、まだ紙のない時代のもの。エジプトのヒエログリフのように、私には絵にしか見えません。
でも、美しい篆刻の文字が並んでいるのは圧巻でした。
ところで、見なかったことにしようと出かけてしまったのですが、あっという間に机の上が山積みになるので困っています。これは、常に整頓することを習慣にしてこなかった自分のせいです。
なのに、雑然としてくると、落ち着かなくなるのはどうしてでしょう。
ひょっとしたら、この国の住民を長くやってきたからかもしれません。
春になれば、田圃に水が引かれて、それこそ縦横に一糸乱れず早苗が植え付けられます。そよ風に吹かれ、同じ方に傾いていても、その隊列は乱れることがありません。
そして、家の中では畳と障子と襖が生活の場です。
舞台裏はお見せできないにしても、一たび客を招き入れるとなったら、てんやわんやの大騒ぎ。いつもこうです、みたいにお座敷然に整えるのです。
かように、目に映るものを美しく整然とすることを心がけてきた民族です。だから、乱れたものに少なからず嫌悪感を持つ。それが日本の文化なのでしょう。
今、その文化にさざ波がたっています。
卒業式のマスク問題です。
感染云々ではなく、みんなが一様にマスクを付けていることが、美しいと考えてのことでしょう。
全員揃ってのマスク姿が、お式の厳粛なムードの演出に欠かせないのはわかります。
でも、そんなマスクごときで、いざこざが絶えないことが悲しいです。
大臣が家庭で決めてくださいと言っただけで大騒ぎになったり、今日も美術館で男性が受付でもめていたのは、マスクのことでした。
いつまで続くのでしょう。
コロナは統制を教えたのではなく、自分のことは自分で決めることを教えてくれたように思っています。
そういう意味で、ひとりひとりに内なる小さな革命が起こっているはずです。
この騒ぎもいずれ落ち着きます。
その暁には、コロナのおかげで自分の中で何かが変わったと思えたら、この騒動の意味があったことになります。
世の中ががらっと変わる時。そのすべてを見ることは叶わないにしても、入り口に立って、今、その渦中に生きていることに内心ワクワクしています。生き証人になれるかもです。