こころあそびの記

日常に小さな感動を

菜の花忌

 

 今日は菜の花忌です。

 司馬遼太郎さんがお亡くなりになって27年が経ちました。

 学業を終えて入社した産経新聞で、彼は文化部で記事を書いておられたと聞いています。そのときの同僚が夫人になられました。

 資料を集めて読み解くことに、彼の才能は大いに発揮され、作家生活に入られます。

 

 去年、縁あって東大阪を訪ねたい際に、「司馬遼太郎記念館」に行ってきました。

 記念館に続くエントランスのガラス張りの廊下と、そこから見える季節を紡ぐ木々の緑に癒されての入場です。

 館内は、安藤忠雄ワールドです。天井まで届く書棚と、階段室から漏れてくる淡い光線が、安心に足る空間を提供していました。

 

 

 さて、司馬遼太郎作品は何度か挑戦してみましたが、史実の説明が随所に出てくるために、歴史に弱い私は読み通すことが出来ないでいました。

 ところが、ひょんな間違いから、『花神』を手に取ってしまいました。

 それは、大塩平八郎と、『花神』の主人公である大村益次郎を、間違えたのです。最初の“大”と最後の”郎”しか重複していないのに。

 この歴史音痴を笑ってやってください。

 

 上巻は本屋で買いました。例によってコピー好きの私の目を引いたのは、磯田道史さんの「本作こそが司馬さんの最高傑作だ」でした。

 それなら、一読の価値はあると考えました。

 

 しかし、どこまでいっても司馬遼太郎節です。どこに、最高傑作の由縁があるのだろうと読んでるうちに、理解し難い変人の人生を黙々と書き綴った司馬遼太郎さんの根性にあるといえるのかもしれないと思い当たったのです。

 技術屋に徹した大村益次郎の生涯は、司馬遼太郎さんに重なるように思えてきました。

 何一つ、褒められもせず、それを乞うわけでもなく、自分に与えられた人生を生きる。

 そんな地味な生涯の代弁者になろうという気持ちは、自分史であったようにも思うのです。

 

 あとがきを、毎日新聞論説委員長の赤木大麓さんが書いておられます。

 「司馬氏は、若い頃、ステファン・ツヴァイクに傾倒し、できれば彼のような『運命の観察者』になりたいと願ったという。」

 

 

 ”運命の観察者“。

 私たちは自分が生きることに手一杯でありながら、時に興味を持った他人の運命から学び取ることがあります。

 そのことで、萎れた花が息を吹き返す。

 『花神』は中国のことばで、花咲爺(はなさかじじい)を意味するそうです。

 なぜ、大村益次郎という寡黙で地味な男に花咲爺という称号を与えたのか。それを、こんな時代だから、考えてみたいところです。