休日。誰も起きて来ない朝のひととき、娘と四方山話に花を咲かせていたところ、窓の外に数羽の小鳥が戯れているのを見つけました。
「ちょっと待って、双眼鏡取ってくるわ」と、席を外した間も観察を続けていた娘が、「雀だと思ったけど、尻尾が長い」と報告してくれました。
そおっと窓ガラスを開けて、梅の木を見たら、いつも通りにメジロがお食事中です。
でも、この子たちの鳴き声ではない。別の声が聞こえます。
その声は次第にはっきりしてきて、ついに、「ホーホケキョ!」と鳴きました。
しかも、喉を潤し発声練習をする声まで残してくれたことに、大感激。早速、娘はユーチューブに上げましたが、はて、何人聞いてくださることでしょう。
今年の当地での、初鳴きは本日、3月5日。うれしい朝でした。
冬から春へという今の時期を表現した詩は数あれど、人口に膾炙している、あるいは覚えていなくても歌い出しを聞けば、その雰囲気を感じられるのが『千曲川旅情の歌』ではないでしょうか。
島崎藤村が小説家になる前に書いた詩だそうです。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る
三好達治の名著『詩を読む人のために』では、この詩を冒頭にもってきています。
この詩がいかに世間に影響を与えたかが解説されています。
何をもって、現代人にまで愛されることになったのか。その原因は、音楽的な響きと、人々が溶け込める単純さにあると語っています。
抜群なリズム感。これは、口ずさめばわかることです。
二番目の単純さは、否定語を巧みに使っているところに埋め込まれているようです。
二連目。
あたたかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
と、読者の心を押したり引き戻したりするのに、否定が効果的に使われていることがわかります。そのために、心が解き放たれ自由にならしめる効果があるそうです。
まぁ、そんな難しいことは専門家に任せて、私は音調と春浅い小諸の風景を思い描いて、楽しんでいます。
細川護煕著『ことばを旅する』の「千曲川旅情の歌」の箇所を開いたら、「軽井沢には子どものころからよく行ってたので、千曲川にも足を延ばした」とありました。
細川さんの書は、遠い歴史を感じようという彼自身の深い思いが素朴に表われているように思えます。つまりは、単純にファンだということです。
昼からは、この書をなぞるごっこ遊びに興じてみることにいたしましょう。