こころあそびの記

日常に小さな感動を

贈られてきた桜花

 

 今、外に出たら、家の桜が開花していました。

 今年も春がやってきました。

 サクラは稲の神さま(サ)が、里の磐座(いわくら)に帰ってきてくださった証です。

 これから、稲作がいっせいに始まります。それは、この一年がスタートすることですから、うれしいし、ありがたいことです。

 桜の花は、この絶妙な時期を選んで咲くことによって、人々によろこびを運ぶ使命をもっているようにみえます。

 ともあれ、日本中がワクワクする数週間がやってきました。

 

 

 昨夜、YouTube福永光司先生のNHKアーカイブスを見つけたので、久しぶりに勉強させてもらいました。

 映像は1997年のものでした。先生はそれから、しばらくしてお亡くなりになりましたが、映像の中では、お話が止まることなく、かくしゃくとして老荘を語っておられました。

 

 放送当時、日曜朝の「心の時代」で流されていたこの映像を、たまたま見た記憶があります。

 東洋思想のことなど何も知らない白紙の頭になぜか強い印象を残してくれた番組でした。

 その後、何十年も経ってから、実際に、大形先生に出会って、福永先生のお話の片隅をつつけるようになったことは、その時には、想像できないことでした。

 

 

 福永先生は1980年から京大人文研の所長をされていた時期があります。

 そんな場所には無縁でしたのに、厚かましくも大形先生について行ったことがあります。

 それは、北白川の閑静な住宅街にありました。

 説明によると、スペイン僧院を模したロマネスク様式に東洋風を加味して建てられた重厚な建造物であり、文化庁登録有形文化財に指定されています。

 人文研の初代館長は、貝塚茂樹先生。この方の弟さんが湯川秀樹先生であり、その下の弟さんが小川環樹先生です。天才三兄弟。

 人文研近くの住宅は、そんなそうそうたる方々のお家があって、ミーハーの私は、そっちの方に気を取られたものでした。

 

 

 さて、福永先生のアーカイブスの講義のテーマは『南船北馬』でした。

 中国北部は馬の文化、南方は船の文化です。

 北に生まれた孔子は、争乱の中で生きるには、強くなくてはならない。秩序が必要であるという、現世的な処世術を説きました。

 一方、秩序だけでは、人間の生は全うできないことを教えたのが、老子荘子です。

 老子は「上善は水の如し」といい、荘子は「道とは海原のようなもの」と云っています。このあやふやさを南の船の文化と結びつけたのが『准南子』です。

 

 剛と柔。賢と愚。 

 つよくて賢いことが、一見、良さそうですが、生を全うする幸せ感は、その条件だけでは、満たされないものです。

 現役のときは剛賢であっても、引退後は柔愚を見つめ直すということは、誰しもが経験することです。

 親鸞上人の立場は愚人でした。

 だから、自分を見つめることができたのでしょう。その苦悶する姿に共感した人々がいたから伝道できたかと思います。

 

 「いのちを全うするにはどうすればよいか。」

 紀元前からずっと問い続けても、未だ確かな答えは見つかりません。

 今日ただ今を心して生きること。

 いのちの息吹きを感じて生ききることしかなさそうです。