こころあそびの記

日常に小さな感動を

極楽極楽

 

 箕面山から五月山に連なる山肌に、ちらほら見える山桜。

 山にも春がやってきたようです。

 

 

 この春から、関大で大形先生の中国哲学の授業を聴講することにしました。

 今日はその出願のため、千里丘キャンパスに行ってきました。

 たった二棟ほどしか歩いていませんのに、何人の庭師の方に会ったことでしょう。

 広い構内を美しく保つために、植物の成長との戦いであったり、見守りであったりと、休む暇はないようです。

 

 春の紅葉が始まった大木のクスノキの下に、シャクナゲが咲いていました。

 そんな季節なのですね。

 今年は室生寺までは行けそうにありませんが、五重塔に登る石段脇には、今頃、シャクナゲが咲いていることでしょう。

 現地に行けなくても、今まで見てきた風景を頭の中で繰りながら過ごすのも一興です。

 

 

 先日、古本屋で『極楽の観光案内』(西村公朝著)を買いました。数十円でした。

 25年ほど前の出版物です。最後のページに「1999.12.8読了つとむ」と記入されています。

 「草葉の陰」というところと「彼岸」という箇所に記しが入っていました。つとむ氏の知りたいところはそこだったようです。

 さて、この本の中には、極楽世界を観想する十六の方法が書かれています。

 十三番目の方法は、虚空に仏を描くという方法です。人は拝む対象を具体的な形にしたがるようで、その一例が京都、浄瑠璃時だというのです。

 近頃の観光案内では、夕刻にお堂に明かりが灯されると浮かび上がる九体仏が池に映るところばかり宣伝されるお寺です。

 しかしながら、池を配置した理由は、池に映し出された阿弥陀仏を、半回転させてお堂の上の虚空に思い起こしてみることだったのです。それを、「雑想観」というそうです。

 虚空に仏を描くなんて、知りませんでした。仏の描くお浄土世界の無限空間に感心するばかりです。

 今まで二、三度、浄瑠璃寺を訪ねていますが、そんな見方をしたことがなかったので、次に行くときには、思い描いてみたいと思います。

 

 

 

 中学生の頃、『浄瑠璃寺の春』(堀辰雄著)が教科書に載っていました。

 冒頭にアセビが出てきます。いじらしい風情の花だと書いてありました。

 そして、桃、さくら、菜の花と春の連想は続きます。

 

 年年歳歳花相似たり

 歳歳年年人同じからず

 

 堀辰雄さんが見た風景を西村公朝さんが見て、また今、私が見る。

 春に咲く花は、惑うことなく春に咲く。

 当たり前と思わず愛でることが、極楽行きのチケットかもしれません。