お庭に咲いた牡丹の大輪を頂戴しました。
壺に挿したら、花に疎い家人でさえ、その存在に気づいたほどです。この富貴な風情に並ぶものがないことに酔いしれています。
広庭の牡丹や天の一方に 蕪村
朝刊の加地伸行先生の『古典個展』には、思わず引き込まれてしまいました。
それは、昨日聞いたばかりの戦中の話に重ねると、納得できることだったからです。
幼少時を大連で生活された男性のお話です。
中国、大連の冬はマイナス40度という極寒の地。暖房に石炭は欠かせません。
その貴重な石炭を盗みに中国人の泥棒が何度も現れたそうです。見つけるたびに叱るのですが、二度としませんと言いながら、次の日もやってくる。その繰り返しだったといいます。
そのことから、彼が子ども心に学んだことは、「この人たちには勝てないなぁ」ということであったということでした。
たくさんの政権が入れ替わり立ち替わりして治めた中国大地ですから、そこに住む人々の精神は、安らぎを持てるものではなかったと拝察します。
だから、彼らは生きていくために、あらゆる手段を駆使するようになったのではないでしょうか。
損得に敏感で、得となれば嘘も平気でつくし、約束も守りません。
それが国体にも生かされて、平気で2つの政治思想を政治に駆使するようになりました。
一つは儒教思想、もう一つは法家思想です。
根本で対立する道徳と法。約束事があるような、ないような。
漢の時代から続いてきた、そんなダブルスタンダートの歩みが今も続いて、現政権では共産主義と資本主義を混ぜて臆することはありません。
そうなんだ。たいへんやったね。という共感や慰めが通用する相手ではなさそうです。
そこに注意しなさいと、加地先生は、警告なさっています。
『論語』憲問に曰く、「言有る者は、必ずしも徳有らず、と」。と。