ヤマボウシの実の赤ちゃん。秋には真っ赤になって目を楽しませてくれることでしょう。
樫の木の三代の姿が枝先に。
去年の秋に実ったドングリの帽子が見えています。二年目に成るという去年の花はドンクリの赤ちゃんに。それから、今年の花穂。
こうやって確実に受け継がれていくことに、感慨を覚えて足を止めました。
日照りも台風もあるでしょうに、植物の世代交代のなんと鮮やかなことでしょう。
やわな人間に、見本を見せつけているように思われたことでした。
今朝の新聞を開いて知った言葉は「フキハラ」でした。
ハラスメント流行で、セクシャルハラスメントからパワーハラスメントまで、細かく仕切られて、まるでいじめの巣窟のような時代であることを憂えないではいられません。
人には感情がありますから、外にはけ口を求めるのも致し方ないときもあるでしょう。
しかし、今は、規定し過ぎて自由がないから、ますます、なんとかハラスメントの種類が増えていくような気がします。
“いじめ”なんて、大昔からあったこと。
私もいじめの対象になりやすい子どもでした。でも、それくらいのことではへこたれない精神の持ち主でもありました。
なにがそうさせたかと云うと、やはり家の中のほうが数倍しんどかったことが原因だったように思います。
だから、いじめられて萎れる子をみると、悩みの経験がないのかなと思うってしまう冷めた子どもでした。
さて、「フキハラ」とは何かというと、不機嫌ハラスメントの略だそうです。
つまり、不機嫌な人がいると、周りに気遣いさせてくたびれさせるから、それは周りへのハラスメント、いじめになるということらしいです。
ややこしいことです。
心理学者のリチャードカールソンが、「自分の機嫌は自分でとる」といったそうですが、当たり前ですよね。
赤ちゃんなら、ベロベロバーってあやしてもらって機嫌をなおすこともあるかもしれませんが、大人にそれは通用しません。
というか、人間が軟弱になって、幼児化しているから、こんなことが社会問題になってしまうと考えることもできる。そうだとしたら、一事が万事、恐るべき事態です。
あの人が自分の思い通りに動いてくれないという不満をどんどん膨らましていく。そして、その不機嫌を顔体に表す人が増えていく。その結果、社会が暗くなる。
自分を不機嫌にさせない方法は、自立することだと思います。他人に頼り過ぎないで、自分で立つことから始まるように思います。
そのとき、自立に手を貸してくれるのは自然の姿です。
自然は常にありのままの姿を見せています。それを、素直に愛でることで、そこに秘められた不立文字に気づきます。
『らんまん』のテーマソングに出てくる「言葉足りず~♪」ではありませんが、物言わずに語りかけるものたちの恵みに感謝できる人になりたいと思っています。