こころあそびの記

日常に小さな感動を

「天神川」2

 

 飛行機雲がこんなに消えない朝は珍しいことです。

 みんな、どこへお出かけしたのかなぁ。

 晴天のフライトは気持ちいいだろうなぁ。

 空飛ぶ人に思いを致す希望の朝でした。

 

 さて、昨日の続きです。

 

 

 お参りするたびに、この歌碑が気になりつつも、読めない自分を情けなく思っていました。この歌には、きっと天神川の言い伝えが歌い込まれているはずだと感じていたのです。

 

 先日の天神川氾濫のニュースを聞いて、直感的にこの歌を思い出しました。

 これを機会に、ひとに教えを乞うてでも知りたくなりました。

 真っ先に、宮司さんにお電話で伺ってみることにしました。神社ならご存知だと思ったからです。

 

 

 電話口に出てくださったのは奥様だったでしょうか。「少し時間を下さい」と対応されました。

 

 折り返し、夕刻にお電話くださったのは、宮司さんでした。

 「書道の先生にも来ていただいて、一日かけましたが、はっきりとは・・」というお返事。

 「ごめんなさい。ご面倒おかけしてしまいました」。すっかりお疲れさせたことをお詫びしたことです。

 

 へとへとになりながらも、わかったことを教えて下さいました。

 歌の作者が温故菴主さんであること。書家は山中恭香さんであること。

 

 宝塚ファンの一人としては、書家の山中さんが宝塚の生徒さんであったことに大感激!

 昭和27年入団の「朝凪美船さん」だそうです。ご存知のお方はおられますか?

 表(おもて)山中宗泉会という書道会を主宰されていた山中宗泉さんのお嬢さんではないかと拝察します。

 

 その他にも、宮司さんは天神川について、興味深いお話を教えてくださいました。

 

 山側が開発される前の天神川には、湯床から冷泉が湧き出て、”湯の花“が流れていたそうです。長旅の巡礼者を癒やした流れであったことが忍ばれます。

 

 更には、この村の「とんとこ祭」という御輿や稚児行列が村を練り歩くお祭りは五年に一度、今も開催されているそうですが、残念ながら、今年は5月5日に挙行済みであると教えられてがっかりしたことでした。

 お祭りで、御輿を練り回すのは、今は陸上だけですが、昔は天神川に入って水が濁るほど威勢良く行う川渡御もあったようです。面白いことに、その川渡御のあとの濁った水を塗れば、あせもやくさ(おでき)によく効いたので、薬缶に入れて持ち帰るのがお決まりだったと聞けば、天神川の”くすり水“の起源が、ほぼ解明できたも同然です。

 

 そこで、こんな風に心で読んでみました。

      天神川

  この神の めぐみなるかな

  くすり水

  流れたえせぬ 天神の川

 

 先人が、その土地につけた名前からは、土地の起源が想起されるものです。

 天神川には、人々が天神と敬うわけがありました。

 

 

 翻って、区画整理と称しての町名変更は、その土地の神様との縁を絶ってしまうことになりかねません。

 それこそ、神と住民との約束破りです。自然と共存していた昔の人の知恵は、現代人の比ではない。それを知る人が少なくなったことに危惧の念を持つのは私だけでしょうか。

 そんな事を考えさせる有意義な歌碑調べになりました。

 

 宝塚巡礼街道。久しぶりに歩きたいなぁ。

 今度行くときは、歌碑の前で意味をかみしめたいと思っています。