本日、春日神社本殿の竣工祭が執り行われました。
願ってもない好天気に、春日神社の守り神さまがご参集されていることを感じました。
お式の間、神社を囲む木々の上で小鳥が鳴き交わし、空は晴れ渡り、宮司さんのご挨拶に出てきたように、まさに絵に描いたような”麗しい日“でした。
春日神社は桜井谷の氏神さまで、野畑、少路、内田、柴原、南刀根山、北刀根山を守護する神社だったようです。
創建年代は不明ながら、835年に社殿の修繕をしたと記録があるそうです。
その後、度々、兵火や戦火に合いながら、1650年に漸くこの地に遷座して、現在に至ります。
この度の大改修は二年間を要し、めでたく竣工の日を迎えたというわけです。
改修を請け負ったのは、「金剛組」。
この方々がおられるから、神社仏閣は永く受け継いでいくことができます。
宮大工という仕事は、千年先の人達のためにあります。だから、今やれる最高の仕事をする。
千年先の人への贈り物とは、なんと素敵なお仕事でしょう。
この夢に賭ける。そんな「金剛組」に憧れと敬意を持っています。
ところで、桜井谷という地名の起源の一つに、古代、桜井宿禰(さくらいのすくね)という豪族が住んでいたからという説があります。
この豪族は、製陶技術を持っていた集団だったといわれています。
この桜井谷付近は土器作りに適した土が取り出せたようで、窯跡が見つかっていることからも製陶が盛んに行われていたことがわかります。
今日、境内で薬師井戸の起源をよくよく読んでみたら、ここにも「桜井」のいわれがありました。
春日大社からお使いにやってきた神鹿が怪我を癒やした井戸の傍らに、桜の名木があったというのです。
桜井宿禰伝説も、九重の桜の名木説も、どちらも遠い昔を彷彿とさせます。その時から、神々さまがずっとここに鎮座され、氏子を守り続けてくださったことに、感謝です。
閑話休題。私が住んでる桜井は、おそらく、阪急電鉄が開発するにあたって、桜井谷から拝借して命名された地名ではないかと推察します。
正真正銘の氏子ではないのですが、同名のよしみでお参りしています。
薬師井戸の上に薬師堂があります。
「おんころころせんだりまとうぎそわか」と薬師如来に真言を唱えた後、少彦名神さまに祝詞を奏上します。
「行く先励ましめ給いて、心豊けく身体健康に守りたまえ」。
ちょっと、落ち着く場所です。
竣工記念のお土産券を頂戴していましたので、厚かましく「鶴屋八幡の紅白薯蕷饅頭」をいただいて帰ってまいりました。ありがとうございました。