こころあそびの記

日常に小さな感動を

第三回花梨の会

 

 キョロキョロ歩きしてるつもりはないのですが、通り過ぎてから、「あの~」と呼び止める声が聞こえる時があります。

 今日もそうでした。

 右側は工事中でしたから、足早に過ぎようとしたとき、「私を見て~」と声がかかりました。

 見ると、くすんだ色のお豆さんが生っています。

 これは、なんだ?

 

 

 春先に、こんな紅色の花が付く「花蘇芳」らしいとわかりました。

 名前の由来は、「蘇芳」の木で染めた”美しく濃い赤紫色“に、花の色が似てるところから「花蘇芳」と名付けられたそうです。

 憧れの草木染めではありますが、「蘇芳色」は椿やヒサカキの灰汁を媒染に使うとなれば、一つの色に到達するために、どれほど試行錯誤と手数がかかることか。それを思うだけで、腰が引けてしまうのです。同時に、この染色法を編み出した先人に頭が下がります。

 

 

 今日は第三回『花梨の会』に参集しました。

 

 10年間続けた漢方養生がベースでありつつも、さらに先に進むための模索を続けています。

 そんな目的に添うのが、Kさんのお話です。

 巷に、養生法は溢れていますが、損得抜きの健康法はここにありと自負しています。

 

 本日のKさんのお話。

 

 敗戦濃厚になった頃、大連からお母さんと命からがら本土に帰り着いたKさんは、まだ幼な子でした。

 しばらくして、離れ離れだったお父さんが南方から帰ってこられることになりました。

 豊中駅まで、出迎えに行くことになりましたが、幼いころに別れた父親の顔は記憶にありません。

 家にあったのは、自分を抱いている父親の写真です。

 その面影を手がかりに、豊中駅で「僕はあなたの息子です」と書いた板を掲げてお父さんを待ったそうです。

 その時の記憶は「ただただ恥ずかしかった」と。

 それでも、南方から帰還されたお父様は、すぐにわかったそうです。

 手に褌一枚握って、真っ黒に日焼けしたお父様。

 「としひろか?」

 「うん」

 「帰ろうか」。

 

 お父さんの手の温もりがどんなに嬉しかったことでしょう。

 翌日、学校へ行ったKさんは、教室で椅子の上に立って、

 「僕のお父さん帰ってきた。僕にもお父さんがいた!」

 と喜びを爆発させたそうです。

 

 

 この実話を、溢れそうになる涙をこらえながら拝聴したことです。

 「豊中駅の再会劇」は、どんなアカデミー賞受賞作にも勝ります。それは、商業的手垢の付かない真実だからです。

 

 

 「花梨の会」は、そんな無駄話してるの?と思われる向きは、健康とはなんぞやというところを、学び直してほしいと思います。

 今、健康であるということは、いろんな要素があることは、当然です。

 しかし、極めつけは生き方だと信じて疑うことはありません。

 

 お話を聞いたり、景色を見たり、会話したり。そんなとき、心動かせたなら、それが、健康な証拠です。

 人と同じ感動でなくてもいいのです。私だけの心の震え方ができたら、明日からの生きる力になるのだと思っています。

 

 Kさんは教えて下さいます。

 「何かに感動したとき、そこに夢を見る。それを楽しむことが、生きるということ」と。