こころあそびの記

日常に小さな感動を

しあわせの根っこ

 

 今朝の『朝晴れエッセー』。

 私と一緒だ!と、にんまりさせてもらいました。

 題名に「母の歌」とあるように、母が勝手に作詞作曲したでたらめな歌を、何度も何度も抱っこした子どもに歌い聞かせるというお話です。

 私も「かわいい~ちゃん、かわいいなぁ。ちゅんちゅちゅんぷんぷぷんかわいいなぁ♪」と我が子にも、孫にも、繰り返し繰り返し歌ったものです。

 思わず、語りかけずにはいられない気持ち。

 同じことをされているお母様がおられると聞いて、うれしくなりました。

 

 

 ところで、昨夜、浅田次郎さん原作の『おもかげ』を、眠い目をこすりながら拝見しました。

 主人公はどうしても知りたいことがありました。

 それを、人生の最期となるかもしれない場面で解き明かすというドラマでした。

 母の顔さえ知らず、捨てられた過去。それでも、心の中で、母を追い求める自分がいます。

 生死の境で見せられた走馬燈で、母が息子の自分を生かすために捨てたことを知ります。

 僕は愛されていた。

 そのことが、彼に大きな自信と安堵を与えます。

 人は、誰でも、愛されている確証がほしいことを、浅田次郎さんは書かれたのでしょう。

 

 

 どこかの人気政治家が、「同調圧力に屈しない方法は、持論を持つこと。」と、書いておられました。

 我を張る彼らしい処世術です。

 しかし、彼の言動が受け入れがたいものに思えて仕方ないのは私だけでしょうか。

 どうしてこんな考え方に至ったのかと考察するとき、やはり、子ども時代の愛情のかけられ方になにか問題があったのではないかと勘ぐってしまうのです。

 

 

 「うちの子はふつうに育てばいいんです」と、言ったお母さんに、「お母さん、ふつうの子が難しいんですよ」と、先生が応えたというほどに、子育ては一筋縄ではまいりません。

 しかも、子育ての答えは、その子が年を重ねれば重ねるほど、隠せないものとなってきます。ふつうに育てられたかどうかがポイントではないでしょうか。

 ふつうに育てるとは。

 大人になったときに、がんばってくれたんやな~と気がつくことなのかもしれません。そして、その感謝が謙虚さを伴うものであれば云うことなしです。