間に合うかしらと、ドキドキして千里川まで下りてみました。
遠く方に、紫色の花が見えたときは、足の痛みもどこへやら。思い切って来てよかった。
栴檀の花は美しく咲いていました。
清少納言が、「木のさまは にくげなれど 楝(おうち)の花いとおかし」と枕草子に取り上げた花です。
また、山上憶良は「妹が見し楝の花は散りぬべし わが泣く涙いまだ干なくに」と、死んでいく女性への送別に詠んでいます。
それが、相手の高貴さを栴檀の花にたとえたものなのかどうかは知る由もありませんが、のちの時代には、栴檀の木が絞首刑場の入り口に植えられていたと伝わっています。
五月の空に栴檀の花はよく似合います。爽やかに軽やかに風に揺れる姿は、どんな歴史を経ようと、私には好ましく思われる花です。
ところで、『花梨の会』では、巷に溢れる情報を探るのではなく、純粋に”(健康に)生きること”をテーマにしています。
前回は、「心震える感動が夢を見ることにつながる」というお話を参加者から頂戴しました。
心に「夢」があれば、古今東西、老若男女に関わらず、生きる力が湧くことは、理解できるのではないでしょうか。
他者の夢に便乗できない意固地な性分の私です。そんなあんたは夢を語る資格はないのではと言われそうです。
しかし、そんな私も夢見ることがあるのです。それは、自分の夢と同じ夢を見ている人に出会った時です。
今回、心の底からふるえる経験をしました。
昨日のこと。
ポストを覗いたら、私宛の葉書が一枚ありました。
なんと!加藤康子さんからのお葉書でした。
「お手紙ありがとうございます お返事遅くなりました」
という書き出しだけで、もう十分幸せでした。
いつか、お話したように、私は、なんなら、「加藤康子さん」のファンクラブを作りたいという気持ちでいます。
それは、誰?
ご説明いたしますと、加藤六月さんのお嬢さんで「産業遺産情報センター」のセンター長をされています。
明治時代に日本を立ち上がらせた数々の遺産を今に伝えて、元気を失いかけている日本を再生する力にすることを訴えておられます。
私が胸を熱くできるお仕事です。
ですので、いつかブログに書きましたように、興奮した勢いでファンレターを書いてしまったのは、1ヶ月ほど前でした。
頑固な割に尻軽ミーハーで困ったもんです。
その返信が舞い込んだのです。
この舞い上がりは、しばらく続きそうです。
なぜなら、自筆の文面に優しさが感じられたからです。こんな私にお時間割いて下さったことが、感激でした。
うれしすぎて、子どもようにの舞い上がっています。
この興奮がおさまったら、ファンレター第二便を投函したいと思っています。
今度こそ、ファンクラブ設立を提案したいというのは、気が引けますが、本当の気持ちです。
明治時代の人々の奮闘があったから、今がある。その上に乗っかってるだけでは、次の世代に申し訳ない。せめて語り継ごうよ。
そんな、語り部の会が私の夢です。