昨日、今日と雲が美しい日が続きます。
風はさわやかに吹き渡り、空はどこまでも青くて。宇宙の果てまで続いているという表現にぴったりです。
その空間に浮かんで流れていく白雲に話しかけたくなる気持ちも分かります。
『雲』 山村暮鳥作
おうい 雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと
磐城平のほうまでゆくんか
ひとりぼっちを好むのか、それとも複雑な境遇から逃げたいのか。
暮鳥はどんな心で、白い雲を追いかけたのでしょう。
この世の塵芥を忘れさせる白雲は、天が用意した徳といえるのかもしれません。
『荘子』天地篇には、
「 千年の長寿で人生に厭きたら
この世を去って 天に昇り
あの白雲に乗って
天帝の楽園に行く 」
とあります。
ゆったりと浮かぶ白雲を見ていると、しばし自分を離れる心地がします。
古人は、涯ない蒼空の上に楽園があると考え、そこに仙人が住む国があると考えました。遠い超俗の境地です。
今、空を見上げて入り込んだ世界は、先人も体験したところだと思えば、時の隔たりが消える思いがします。
不変の循環をありがたく思います。
ところで、今日、七人目の孫が誕生しました。
朝から、仏壇にお線香上げて、「無事に生まれますように」とお願いするようになったのは、年のせいでしょうか。
私たちの親も、そのまた親も、同じように祈ってくれたはずです。私もまた祈れる年まで元気に生かしてもらったことに感謝です。
子や孫が、この先、元気に生きていけますように。
手を合わすことが、年寄りにできるただ一つのおつとめです。