関大では、まだヤマボウシが咲いていました。雨に煙る空気の中で見る白い花は、目を引きます。
暗がりに咲くドクダミも、樹上の泰山木の大きな花も好きです。
さて、秦の始皇帝が生きたのは紀元前246年~210年とされます。ということは、中国の歴史上初の統一を成し遂げたにしては、短かすぎるように思います。
だからこそ、彼は、なんとか延命したかったのではないでしょうか。
徐福に東海の蓬莱山に仙薬を求めさせたのも、仙人を目指したのではなく、延命のためのあがきだったのかもしれません。
こないだ、BS『こころ旅』で、有明海を放送された折に、またまた徐福伝説が出てきました。
あちらこちらに伝承があるということは、どういうことを物語っているのでしょうか。
ところで、徐福が出発した中国の渤海湾というところは、海市という蜃気楼現象がよく見られるところだったそうです。
蜃気楼。海の上に出現する幻。
日本では富山湾が有名です。
その幻に誘われて、始皇帝に命じられるままに徐福は東海に漕ぎ出したとされます。
日本のあちらこちらに見られる浦島太郎伝説や竜宮城も同じです。
「浦島太郎」
1. 昔々、浦島は助けた亀に連れられて竜宮城に来てみれば、絵にもかけない美しさ
2. 乙姫様のご馳走に鯛やヒラメの舞い踊り、ただ珍しくおもしろく、月日のたつのも夢のうち
3. 遊びにあきて気がついて、お暇乞いもそこそこに、帰る途中の楽しみは土産にもらった玉手箱
4. 帰ってみれば、こはいかに、もと居た家も村もなく路に行き交う人々は顔も知らない人ばかり
5. 心細さにふた取れば、開けて悔しき玉手箱、中からぱっと白煙、たちまち太郎はおじいさん
おじいさんになった太郎は鶴になって蓬莱山に飛んでいったとさ。でお終いになります。
万年生きる亀。竜という空想動物。海の中の桃源郷。そして、玉手箱です。
何かと古代中国の神仙思想がもられた話です。
玉手箱に入っていたのは、過ぎてしまった年月と解説されることが多いですが、玉は魂とすると、はっと我にかえるようでもあります。
人間には、長生きはしたいが、自分でなくなるのはいやという、相反する欲求があります。
わがままな人間の望みに何とかして応えようと、古代人が考えに考え、練りに練ったのが、神仙思想だとすると、そこには人間の浅はかさや可笑しさも感じてしまいます。
仙人になるための方法である、仙薬の服用、辟穀(穀物を食べない)、服気(呼吸)。いずれにも興味はありませんが、「気の純度を上げる」という目的には、ちょっとそそられます。
古代人の憧れの最大の目的がそこにあるなら、私も試してみたいのですが、そのためには、体を軽くしないといけない。
それは、無理~。なので、私にとって仙人の勉強は机上の空論です。