こころあそびの記

日常に小さな感動を

青嵐

 

 母校の中学から同窓会誌が送られてきました。

 誌名は『青嵐』です。

 今はもう伐採されてしまいましたが、正門前にあった大きなシンボルツリーの欅。その枝に吹き渡る風をイメージしたら、この名前しか付けようがありません。

 五月の風を感じるたびに思い出される良い名前です。

 

 今朝も、その母校を見下ろす高台に行って、思いっきり深呼吸してきました。

 青葉、若葉の匂いがどこからともなく運ばれてきます。

 

 

 公園の入り口にあるクスノキが花を付けて、近くを通ると、爽やかな匂いがします。

 

 

 ミカンの木に真っ白な花が咲いています。大好きな匂いが流れてくる場所に立ち位置を決めて、しばらく佇んでいたら、気持ちが洗われる気がします。

 

 

 池のほとりに栴檀が咲いていました。こんなところにという、今、限定の逢瀬です。

 

 

 栗の木の花が、梅雨入りと同時に咲くぞと、準備中でした。

 

 

 先日、投稿した睡蓮の花。造花みたいに見えるけれど本物です。

 朝早すぎて、十分に開いてなかったことは残念でした。

 

 

 「ウォーンウォーン」とウシガエルの声がするので池を覗き込んだら、丁度、顔を出しているところでした。

 写真の左の方に大きい雌が、右には小さい雄がいます。

 じっとしている雌の周りを、水の中に引っ込んだり、また、顔を出したり落ち着かないのは雄の方でした。

 

 

 一日に、本やSNSから取得する情報がどれほどあっても、頭が悪いからか、はたまた惚けたからか、記憶に残るものは僅かです。しかも、知ってることのみが残って、知らないことは知らないままという体たらくです。

 これは、老年になったから興味の幅が狭まったとも言えますが、実は、若い時から興味のあること、ないことがはっきりしていたことを思い返せば、なんてことない。自分は自分。何にも変わってないやん。

 この世を生きる間に成長できることって、どのくらいあるのでしょう。

 浄瑠璃寺の九体の阿弥陀如来さま。

 なぜ、九体なのか。それは、上の上から下の下まで、どの修行段階の人でも、その人に合わせてお迎えに来て下さるからと聞きました。

 

 

 これが、成長と関係のあるなしは、分かりませんが、近年、自然を楽しむ余裕ができたことは大きな変化です。

 多くの情報をかき集めるより、自然と遊ぶときの自分が好きです。