気持ちのよい五月の朝でした。
今朝は阪大の待兼山キャンパス内を散歩させてもらいました。
学校の中にこんな遊歩道があるなんて、さすが国立大学です。でも、この道を幾人の学生さんがご存知なのでしょう。もったいないとは思うものの、自分の学生時代も同じようなものだったと思うと、若者と高齢者では、惹かれるところが違って当たり前というところに行き着きます。
ということは、この年まで気づかなかったこと、この年だから見えることがきっとあるはずです。
目を皿のようにして探したわけでもないのですが、いつも、ちょっと気になっている「浪高の庭」に入ってみました。
ここは、池があってベンチがあって、狭いのになぜか落ち着く空間です。が、意外に此処で過ごしている学生さんは見たことがないという秘密の場所なんです。
さて、「浪高」という学校をご存知の方は数少ないことと思います。
「浪高」は旧制・浪花高等学校、それを略称で「なみこう」と呼んでいた学校です。
旧制高校、いわゆるナンバリングスクールより難しい、大阪の秀才が集まる学校でした。
刀根山にはすごい学校があって、いとこの○ちゃんが通っていたという話は、母から耳たこで聞いていました。
ですから、「浪高の庭」には叔父の匂いがあるように思ってしまいます。
「浪高」は1950年の新制移行時に廃校となってしまい、そのあとを現在の阪大が受け継いだようです。
図書など一部は府大(現・公立大学)にも移管されたとか。
まさに、大阪頭脳の発祥地といえるところです。
出口にこんな石の造形物がど~んと置いてありました。
何じゃこれは?
作者を見たら、志水晴児さんという抽象彫刻の先駆者でした。
調べたら、東京の旧電通本社の前庭にこんな鳥が飛び立とうとする造形を丹下健三とのコラボレーションで作られた方でした。
当時、世界に羽ばたこうとする日本をイメージしたのではといわれているそうです。
それが、電通の建物を解体するに当たって、撤去の憂き目にあったとか。
しかし、志水さんのお嬢様のご尽力で、清春芸術村に移されて、今も訪れる人に語りかけているとは、うれしいことです。
そうそう、池の向こうの左側の建物は、「浪高」の校舎で、2004年、登録有形文化財指定を受けたものです。
中に入ると、戦前の重厚さが感じられて素晴らしいです。
いつか、お部屋をお借りしてお話会したいですね。