こころあそびの記

日常に小さな感動を

巡礼の道で

 

 昨日は二十四節気芒種」。

 今日は令和6年6月6日。

 なんの関係もないんですが、職場でこのゾロ目に気がついて笑ってしまいました。

 

 

 阪急中山駅から山本駅まではなだらかな下りで格好の散歩道。そして、西国三十三所巡礼の道でもあります。

 番号通りにお参りするなら、23番札所である箕面勝尾寺から24番札所中山寺まで上りで歩いたわけですから、昔の人々の足腰の丈夫さが並ではなかったことが忍ばれます。

 道沿いには、天神さんや道祖神、お寺に庚申堂や大師堂などが程よい間隔で並んで、ここで巡礼者も足を止めたかと思うと、同じ道を辿ることがありがたく思える散歩道です。

 

 

 その中ほどにあるお宅前に、「ご自由にお持ちください」と書いて、たくさんの小さなサボテンの鉢が置いてあったのは、もう何年も前のことです。

 お言葉に甘えて、チャリーンと200円ほど銭入れ箱に入れて、いただいて帰ってきました。

 私のことですから、花が咲いて自己主張でもしてくれない限り、振り向くこともなく過ごしてきました。

 昨日のことです。娘が、キャー!びっくりした!と言って家の中に駆け込んできました。

 どれどれ。キャー。本当にグロテスク。初めはきゅうりを誰かがねじ込んだかと思いましたが、ネット検索してみたら、なんと、花が咲くらしいことが分かりました。

 

 

 どなたかのブログから拝借したお写真です。

 赤花短毛丸というサボテンで、花はこの方のお家でも6月10日に咲いていました。

 花は1日だけの儚い命のようですが、荒野に咲くはこれくらい派手やかでないと目立たないのかしらというほどの美しさです。

 まだかな、まだかな。楽しみに待っています。

 

 

 西国三十三所巡礼の始まりは、718年、長谷寺の徳道上人が仮死状態に陥ったとき、冥府で閻魔大王に会い、33の観音霊場を開くように命じられたことに端を発するようです。

 しかし、当時の人には受け入れられなかった。

 そして、その270年後に花山法王によって再興され、観音菩薩の功徳が世に広められたそうです。

 『光る君へ』の本郷奏多君が演じる花山天皇を見るとき、この話と一緒に思い出すことがあります。

 

 昔、母を乗せて三田の花山院に行ったとき、軽自動車であの急坂を上ろうとして途中で停まってしまったことがありました。

 免許取りたてでもありましたから、軽自動車では上れないという判断さえできなかったのでした。

 そこへ通りかかった初老の男性。

 すっかり気持ちの萎えてしまった私の様子を見て、駅まで運転して連れ帰って下さったのです。

 

 

 彼こそが観音様です。

 観音経にあるように、観音様は33の姿に変身して人々を救済下さるといいます。

 何度も何度も観音様にお助けいただいている私。

 その後の人生でお返しの人助けをしたかと問われると、できていませんとお応えするしかありません。だから、まだまだなのです。