こころあそびの記

日常に小さな感動を

どうでもいい話

 

 今朝も池田城跡へ。

 梅雨らしい気配の中に、ヒツジ草が迎えてくれました。花に色を付けた神様という存在の偉大さを思います。

 色という刺激がどれほど私の目を覚ましてくれることか。

 

 

 キキョウが早くも咲き始めていました。不思議なもので、青紫色の濃淡が、蒸し暑さをひととき忘れさせてくれます。

 

 

 先日まで、真っ白な百合で埋め尽くされていた花壇が、植え替え中でした。つぎは?とお尋ねしたら「コスモス」とお応えくださいました。

 それを聞いて、季節が巡ることを実感したことでした。

 

 

 四阿の下にふたご用ベビーカーが置いてありました。芝生の上で遊んでいる双子のものかと思って、見ていたら、お揃いのサロペットを着た幼い二人が近づいてきました。

 男の子と女の子でした。

 女の子は物怖じしないで、しだれ梅の枝の間から、いないいないばぁをしてくれます。

 かわいいしぐさに何度かお相手をしてから、茶室の方へ移動したら、彼女も付いて来てたみたいで、勝手知りたる様子でツクバイの水で遊び始めました。

 そこへ、お父さんがやってきて、あえなく連れて行かれてしまいました。

 たった、それだけのこと。

 でも、この誰にも邪魔されないゆったりした時の流れに、心洗われたように思いました。

 心をニュートラルに戻せた気がしています。

 

 

 いつも思っているのですが、近ごろまたその思いを強くしています。

 というのは、母親の存在です。

 誰とは言えませんが、ちょっと奇行が目だつ人でも、大切なところで考えがぶれない人というのは、聞いてみると、お母さまがしっかりされていたとうい共通点があります。

 どうしっかり者だったか。

 今回、例に上げたくなった方のお母様はクリスチャンでいらしたそうです。なにも信仰が素晴らしい人となりを作るというのでなく、して良いこと悪いことを教えられたことが、大人になった彼から推察できるのです。

 男女同権のもと、仕事が増えてしまったお母さん。子どもは親を見て育つという言葉に頼りすぎてはいないでしょうか。子育てにもっと余裕があればと願ってしまう老婆です。