
聞こえてくる蝉の鳴き声に力がこもってきました。これは梅雨明けのしるしとばかり見上げた青空は、それを確信させるものでした。
羽をバタバタさせている蝉が、雀に咥えられて絶命していくところを見てしまいました。
こんな自然界の厳しさを思うと、少なくとも食べることに事欠かない人間に生まれたことをありがたく感じたことでした。

昨夕見つけお月さま。長らくお目にかかれなかった月ですから、雲間に浮かび上がる月がことのほか美しく見えました。
今宵月は月齢11.7の十三夜です。

先日の奈良旅の続きです。
写真館と新薬師寺の間に、「鏡神社」があります。
創祀は、遣唐使派遣の祈祷所たりし当地に806年新薬師寺鎮守として奉祀せられたといいます。
興味深く思えるのは、由緒です。

「桜花を娘子に贈りて
この花の一瓣のうちに 百種(ももくさ)の 言ぞ籠れる おほろかにすな
万葉集巻八 一四五六」
広嗣は藤原不比等から数えて九代あとに生きた貴族で、聖武天皇のいとこでもありました。
由緒には異能の人と書いてあるくらい図抜けた才能の持ち主だった彼ですから、詠んだ歌はいっぱいあったでしょうに、万葉集にはこの歌一つしか選ばれていません。

歌の内容は、桜花を娘に贈る際のこととはいえ、その娘だけでなく、勝手ながら、広く人々に教えを伝えようとしているようにも取れます。
そう思えば、この優作から、広嗣という人が純真新率であったことを察することができます。
真面目だったから、不正を見て見ぬふりできなくて乱を起こしてしまった。そのことが、後の世の人に変人扱いで伝わることになりました。
それでも、たった一つ生き残った歌によって、その人物像を好ましく捉える人が一人でもいたら、生きた甲斐があったというものではないでしょうか。
鏡神社の絵馬掛けに書かれたみんなの願い事の素直な言葉に、私は藤原広嗣の心は生きていると感じた次第です。