こころあそびの記

日常に小さな感動を

夏雲

 

 朝から熱暑。歩こうか止めにしようか、逡巡の時間が過ぎていきます。

 やっぱり、こういう時こそ出かけるべきと決心して、図書館まで歩くことにしました。

 年寄りは身体を常にアイドリング状態にしておかねばなりません。一旦、エンジンを切ってガレージに入ってしまうと、動けなくなる。これは若い人にはわからない老いの現実です。

 

 

 ひまわりもお日さまに向けなくて、暑いよ~って。

 

 

 ナンキンハゼの実が膨らんできました。

 

 

 フヨウが咲いていました。

 

 

 去年は茂っていたのに、きれいに抜かれて、これだけしか生えてなかったスベリヒユ

 

 

 シオカラトンボは水色だけど、この子は鮮やかな黄色です。

 しばらくの間、私のお供をしてくれた人懐こいオオシオカラトンボ

 

 

 千里川沿いの木陰をたどりながら、なんとか図書館まで歩き通せたのですが、その間に、何人かのランナーとすれ違ったことは驚きでした。

 

 

 夏は雲。

 本を読まない子どもでしたので、そんなことも知らずに高校生になりました。

 書道の授業で「雲の峰」と書いて初めて、夏の入道雲が作る峰を意識するようになったとは、お粗末なことです。

 

 あしひきの山川の瀬の鳴るなへに

 弓月が岳に雲立ちわたる

             人麻呂

 雲が湧いてくる様子を「雲立ちわたる」と表現した古代人の感覚に共感できるのが夏です。

 

 夏の旅といえば、芭蕉は旧暦6月の暑さの最盛期に奥の細道の佳境である山寺から出羽三山へ赴いています。

 

 雲の峰幾つ崩れて月の山

 

 

 散歩の道中、いくつかお地蔵さんが祀られているのですが、どれもだれかがお世話されています。

 そんなお役を受け持つということは、雲の上のどなたかの命でありましょう。

 

 帰りはバスで戻りました。

 あるバス停で老女が一人、暑さの中へたりこんでお待ちでした。当然のことながら、バスが来たからと俊敏に動けるわけはなし。もたもたされているのを見た男性が彼女の手押し車をさっと載せて、更には彼女が座るまで「ウンチャン待ってや!」と運転手さんに声かけまでされたのです。

 その彼の外見といったら、ランニングシャツに下駄履き、手には缶コーヒー。人はみんな優しさを持っている。なのにどうして、世界中、戦争だらけなのかと思ってしまいました。

 

 家から出ること。それが、五感を刺激します。

 どんなに暑くても一歩外へ出れば、ささやかでも何かと出会い、何かを感じることができる。そういうふうに生かしていただきたいと願っています。