かへる日もなきいにしへを
こはつゆくさの花の色
はるかなるもの
みな青し
海の青
はた
空の青
ひさしぶりに三好達治の「かへる日もなき」という詩が好きだったことを思い出しました。
理由は、白い雲を浮かべる空の真っ青な色が美しかったからではないんです。
仕事場に実習に来てる学生さんが、「“青い鳥”ってなんですか?」って訊いてきたからなんです。
「ええっ?知らないの?」
「!?」
「だったら、図書館で児童書のコーナーに行ってみて(笑)」
このところ、同僚が病気探しをしているのを見かねて、
「青い鳥やよ~」
病気は探すもんじゃないよ。今日の健やかさに満足しなくちゃ。なんて、おばさん丸出しのお話をするもんですから、「青い鳥」の話を知らない若者にはチンプンカンプンだったみたいです。
科学万能と信じる人にとっては医療に頼り切ることが正しいと疑うことがありません。
今日も、血液検査の結果、ほぼほぼ転移はないといわれたが、あと一つシンチ検査もしてみようかと思う、と話すのです。
本人が、その気なのですから、納得するまでやるしかないとわかっています。
しかし、長い人生。どこかで折り合いをつけるためには、ここで他力本願という考え方から脱却しておくこともありかなと思ったりします。
神さまは、ここぞという時は黙っていません。神業を駆使して、本人に知らせてくるものです。
私の母のことですが、ある時、駅で腰痛で動けなくなって救急車で近くの病院に運ばれました。
担当医がX線検査の画像を私に見せて、「腰痛はひどくはないですが、えらいものが写ってます」と、腹部大動脈瘤を指し示されました。
母は当時、六十歳になったばかりでした。まだまだ、子育て中の私を残して逝かせてもらえなかったのでしょう。
そんな経験から、私は本当に必要があれば神さまは出動なさると信じています。
閑話休題。
先の同僚がどこかで、食事の前に唱える感謝の言葉を習得してきたようです。
唱えてみて気持ちの良さを感じないと言うのです。
だったら、いらんのじゃない?
それを第六感とか、勘といいます。
科学万能時代になにを、といわれそうですが、自分を守るのはそういう「感じる」部分です。感じて決めるのは自分でいいんです。
それが生存と直結するところ。
生きてるということは、“天”とつながっているということ。それをいのちというのではないでしょうか。