暑くなる前に、近くの氏神さまにお詣りに行きました。
「久延彦神」に手を合わせ終わって、ふと社殿脇の足下に置かれている割れた狛犬さんを見たら、なんと可愛いイヤリングがくっついているではありませんか。
思わず写真に収めたことです。
今朝の『虎と翼』で、広い広い越後平野が映りました。
一瞬の映像でしたが、二年前、弥彦山を登る途中で見た越後平野の広さに驚いたことを思い出しました。なにに驚くといって、平野部のほとんどが水田であることです。
“穀倉地帯”と学校で習うだけでは分からない風景です。
かように、記憶にある場所には、特別感を持つものです。
新潟には縁がないのですが、できたら、弥彦山にもう一度登りたい。しかし、年々衰える脚力ですから、その願いを叶えられるでしょうか。
さて、両親が共に大阪育ちですから、他府県に縁なく育ちました。
ところが、結婚という縁で讃岐という場所を何度も訪れる機会をいただけたことは、私の人生を彩ることになりました。
讃岐の国といえば弘法大師の出身地ですから、真言宗のメッカです。ということは、いつかは弘法大師様にお世話になる日が来るはずで、そのための準備として、お大師様のことも勉強しておかなくてはと思っているところでした。
先日の、三好達治の詩の中に出てくる「はるかなるものみな青し」から、海と空を思ったとき、突然、司馬遼太郎の『空海の風景』に至ってしまいました。
司馬遼太郎さんの文章は、古文書の研究で成り立っていますので、あほな私には難しくて避けて通っていましたが、こと空海に関しては、まず、この本で概略を学ぼうと、図書館で借りてきました。
あいにく、単行本は上下巻とも貸し出し中で、借りられたのは、全集の一冊ものですから、字の細かさにうんざりしながら読み始めました。ですが、私の知らなかった讃岐人の特徴が書き連ねてあったりして、これならもう少し我慢しようかと思って読み進めています。
空海がなぜ密教に思いを定めたのかという点は興味深いところです。
当時の中軸学問である儒教は世俗の作法ですし、解脱目的の仏教にも触手が動かなかった。
彼が知りたかったのは、「人間と宇宙をなりたたしめている真理」だったと、司馬遼太郎は書いています。
これって、私が知りたいところ、そのものです。高野山の雰囲気が好きではない私なのに、ひょっとして学ぶ時期が来たのかもしれません。
だから、空海なんだ。と、ちょっとうれしくなってます。