こころあそびの記

日常に小さな感動を

悪女のふりして

 

 今週の『虎に翼』のサブタイトルは「悪女の賢者ぶり?」です。

 その内容を深く探る前に、字面から”悪女“というタイトルの歌を思い出してしまいました。

 言うまでもなく、中島みゆきさんの名曲です。ブレスをうまくしないと歌いきれないところが、この歌の魅力ですが、それをことも無げに完璧に歌い上げたのが工藤静香さんでして、彼女のファンでない私も彼女の歌唱力には脱帽です。

 それにしても、中島みゆきさんのこの作詞力はどうでしょう。

 

 悪女になるなら月夜はおよしよ

 素直になりすぎる

 隠しておいた言葉がほろり

 こぼれてしまう

 「行かないで」・・・♪

 

 すごいです。その通り。

 “まひろ”もびっくりのお月様です。

 

 

 さて、朝ドラは法律の限界に挑むところに入ってきたように思います。

 大勢の人間を束ねていくには、決まり事が必要です。

 しかし、その枠からはみ出す者や事象をどのように裁いていけばよいか。その見本を演じるみさえさんから、寅子が学ぶところに、一つの山を感じます。

 法曹界を目指す人は、ともすると、正義感が先走って人間が見えなくなるという愚を冒しかねないことを、三淵さんも経験されて悩まれた部分かと思われます。

 現実、今の法曹界もその種類の人が増えて、つまりは法をいかに正しく遂行するかだけに陥っているきらいがあります。その結果、人権擁護の御旗のもとに左傾化しているといわれてしまうのです。

 幼い日に、裁判所の洗礼を受けた私ですから、法は人を救えないと思っていて、法曹界に進む人の気が知れないと思うところがありました。

 

 

 だから、医療に進んだわけですが、なんと、そこにも法曹界と同じ落とし穴があったのです。

 ある中医師に「医療は半商半医」と教わったことがありました。今思えば、彼も胸の中にもやもやを抱えた人だったのでしょう。

 

 たとえば、薬剤師にも二手あります。

 純粋に薬の力を信じている薬剤師と、そうではなく、健康は人間力と想っている人。

 

 法にも抜け穴があり、薬にも絶対はありません。

 人間が考えることの限界が、二つに共通することです。

 ではどうすればよいか。答えは簡単ではないから、今もって世の中に平安がないのでしょう。

 それでも、そのことに気づいている人の存在は貴重です。

 なんの解決にもならなくてもいい。人を救えるのは、他者ではないと知ることから始まると思うのです。