こころあそびの記

日常に小さな感動を

自尊心

 

 朝一番、庭に出たら、ひさしぶりにさわやかさを感じました。

 暦の上の立秋が嘘でないことを実感したのも束の間、太陽系が上るにつれて、いつも通りの暑さになりはしましたが、秋の気配が確かに近づいていることがうれしい朝でした。

 

 

 そういえば、秋は夕暮れ。それもだんだんに美しくなってきています。

 空全体が茜色に染まる日も近いことでしょう。

 

 

 昨日、8月7日は「鼻の日」でした。

 書き損ねて一日遅れになってしまいましたが、「鼻」に関して一家言ありの私ですから、お付き合いいただけたらと・・

 夏目漱石も絶賛したという芥川龍之介の『鼻』という作品は、団子鼻持ちの私だけでなく、共感を持つ人が多いのではないでしょうか。

 獅子鼻、かぎ鼻、わし鼻という形のみならず、大きい小さいも含めて、気になりだしたらどこまでもという代物です。

 文豪、芥川龍之介でさえ、原稿用紙に向かうときに、自分の鼻が視野に入ることを気にしたみたいです。それで、こんな作品が生まれたとは可笑しいことです。

 

 

 私が幼かった頃、団子鼻家系の母は「たこうなりますようにいうて、鼻をつまんどきなさいよ」と寝る前に娘に言い聞かせていたものですが、そのうち、「鼻なんて、そこだけ見てたら変なもんよ」と諦めてしまいました。

 そんな鼻の話、芥川龍之介の『鼻』を窪田等さんの朗読で聞き直してみたところ、明治、大正、昭和は遠くになりにけり、あの時代はおおらかだったなぁと思ったことでした。

 なぜなら、今、人の鼻を見てクスクス笑ったりしたら、パワハラ!で訴えられそうだからです。

 物語の主人公、禅智内供の自尊心が傷ついたのは、他人の目を気にするからでありました。それに気づいた後は、自分の鼻を受け入れて大手を振って歩けるようになったという内容です。

 

 私自身、経験が乏しく繊細であった青春時代、何かの折に受けた友達からのアドバイスが忘れられません。

 「あんたが気にしてるようなこと、誰も気にかけてもないよ」

 自尊心の鼻をへし折られて、自分の未熟さを見せつけられたような出来事でした。

 他人をあざ笑うのも人なら、そんな暇がないのも人。

 人の目の無責任さを描いた『鼻』が好きです。