こちらの都合でなかなかお目にかかれない曙どきの東雲。
孫たちのお弁当作りもお盆休みで一休み。ゆっくりと空を見上げた朝でした。
せっかくのお休みだからと、お出かけ虫が騒ぎます。
梅田から、中之島美術館まで歩いてみました。ご存知ですか?旧の中央郵便局が漸く新装KITTEに建て変わって、阪急側の歩道橋から上り下りなしに、一直線に行けるようになったこと。
そんなつまらない実験をしながら、大阪の町の変貌ぶりを楽しんできました。
木下佳通代展覧会のギャラリートークに参加してみました。
近頃、展覧会もどんどん様変わり。行く度に驚きます。写真をとってもいいのは当たり前。今日は、参加者だけにイヤホーンを貸し出して、学芸員の方が会場内を一緒に回って説明下さる方式でした。
一人で鑑賞するのではなく、ご一緒に回っている人たちの反応が見られることが新鮮に思えました。
木下佳通代さんは、”存在“の形を探求された作家さんであることを教えてもらいました。
絶対的存在と相対的存在。
ブッダか唯我独尊と唱えたような、確固とした自分と、この世で出会うすべてのものの中で研鑽する自分。
最後の部屋には、「天地玄黄」が飾られていました。
これは、同志社大学の食堂に長らく掛けられていたものだそうです。
ところで、木下佳通代さんの人生の最後に用意されたものは乳ガンとの遭遇でした。苦しみの中で、彼女を待っていたのは、自分はなにも変わっていない、ということではなかったかと想像します。
それでは生きた意味がないじゃないかと、捉える方もありましょう。が、絶対的存在としての自分の色は、一生くらいでは変わらないと感じるのは、まだまだ未熟者だからでしょうか。
千字文の冒頭、「天地玄黄」は空と大地の色を表しています。
私たちは、空と大地の間で、生かされている存在であることは間違いありません。
つらい日々であったでしょうが、自然の中へ自分を放り出すことに救いを見つけたとしたら、それががんばった彼女への神さまからの贈り物ではなかったかと思えて、救われた気持ちになりました。