昨日は満月前夜。煌々と照る光が地上にまで届いて、さっきまで見ていた『光る君へ』の主人公が漏らした言葉が思い出されたことです。
「人はなぜ月を見上げるのでしょう」とまひろが言ったあと、ややあって、「誰かが見上げていると思って見上げてきた」と道長が言いましたよね。
大石静さんの独壇場です。あの台詞で視聴者の心は鷲掴みにされてしまいました。
中国の昔話では、月にはヒキガエルが住むといいます。
『淮南子』にはこうあります。
昔、弓の名手であった后羿(こうげい)
が西王母からもらった不老不死の薬を、妻の嫦娥(じょうが)が盗み飲みして月に隠れた。美女であった嫦娥は、その後、ヒキガエルになります。不死の象徴とされたヒキガエル。中国では、お月様に映る影をヒキガエルと考えているそうです。
一方、月に映る影をウサギがお餅をつく姿と見ている日本。月の物語といえば、月に帰って行くお姫様が登場する「竹取物語」が有名です。
翁が光る竹の節を切ってみると、小さな女の子が生まれたことから始まります。
ドラマでは、まひろは道長の言葉を導くように、「かぐや姫が見下ろしているから見上げるのかな」と乙女チックに呟きます。
まひろが、かぐや姫という言葉を使ったことから、平安初期に成立した「竹取物語」は、「源氏物語」が書かれるころにはすでに巷間に流布していたことがわかります。源氏物語に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」と記されていることからも、紫式部が参考にした部分が多いことが推察できます。
平安初期は遣唐使が持ち帰る中国の書物から、大陸文化を学びました。
しかし、私たちの国はそのまま受け入れてはいないことが分かります。お月様伝説一つとっても、オリジナリティをきかせたものになっています。
たとえば、今でも地鎮祭など結界をつくるのに使う神聖な竹からお姫様を誕生させるところは日本的と言えます。というか、中国北部には、竹がそもそもなかったからというのも原因かもしれません。
浅学のため、どこが違うとは言えないのですが、どことなく雰囲気が違うように思いませんか。おとぎ話というネーミングに感じられるやさしさがこの国の持ち味であったのです。
大河ドラマ『光る君へ』では、まひろがいよいよ「源氏物語」を書き始めました。
まひろが、日がな書くことだけを考える姿が目に焼き付きました。歴史に残る大作を残すには生みの苦しみを伴ったはず。それは、大石静さんの今のお気持ちではないかと推察したことでした。