一日で一番しあわせな瞬間は、床に就くとき。あぁしあわせ!と吐息を漏らすと、しあわせが全身に巡る気がします。
そして、二番目が、お日さまを山の向こうに見送る時です。輝く山の端を見ていると童話を書いた人の気持ちに浸れます。落日を扇であおいで、なんとか呼び戻そうとした庄屋さんのお話。
そんな悠長な童話世界が成り立ったのは、自然との距離が近かったからかもしれません。
さて、日の入りが早くなってきたので、最近は、日没時刻に合わせて散歩に出かけるようにしています。今のところ、マジックアワーとの遭遇はありませんが、二つと同じ空がないことが私を喜ばせてくれます。
昨夕の空も素敵でした。小さな三つ子雲が茜色に輝いていました。決してカメラマンが狙うような光景でないのですが、通りがかりの人から、「きれいな雲やね」と声をかけられるだけで何倍も嬉しくなります。
ところで、ここ最近は、『虎に翼』の後、『こころ旅』ではなくて、ドイツ在住のYouTuber、AKIRAさんのヨーロッパ自転車旅が放映されています。
火野正平さんはいつ戻ってくださるのかと、気がかりなことですが、御無理がないようにと念じるしかできなくてごめんなさい。
そのヨーロッパの旅のBGMだったかどうだったか定かではありませんが、昔懐かしい曲が流れました。あるいは、映像がこの曲に合っていたために、勝手に頭の中に流したのかもしれません。
ボブ・ディランの「Blowin'in the Wind」(邦題「風に吹かれて」)です。
発表は1963年ですから、当時の私はまだ子どもでした。
しかし、その後、中高生になるころに熱中した吉田拓郎さんをはじめ、フォークシンガーに神様と崇められたのがボブ・ディランです。
”ソソソララソミレド ソソソラソファソ♪~“
拓郎がギターを弾きながら、ハーモニカを首に固定して吹くスタイルに熱狂したのも、ボブ・ディランさんに傾倒していたゆえのことと知ったのも、随分あとになってからでした。
その頃、「拓郎の歌詞は当たり前すぎる」と評されていました。
「 落陽
しぼったばかりの夕陽の赤が
水平線からもれている
苫小牧発・仙台行きフェリー♪」
確かに、陽水の「探し物はなんですか・・」の持つファンタジー性がない。そこが拓郎の魅力でした。
拓郎は私達世代の旗手でした。
アメリカに住むボブ・ディランが感じるベトナム戦争は、日本人が思うよりずっと深刻なものだったはずです。
だから、この曲は、少しアンニュイに歌ったほうが、思いがち伝わるようです。
22歳の時の作品が、世界中の若者をこんなに虜にしたことを、彼はなんと考えたでしょう。うれしいはうれしいけれど、大きな責任も感じたのではないでしょうか。
声の限りに反戦歌を歌っても、未だ、戦争はウクライナでもイスラエルでも止むことはありません。
しかも、ベトナム戦争当時のような単純抗争ではなくなって、世界は複雑な絡み合いの様相を呈しています。
歌詞に”見て見ぬ振り“と出てきますが、あの頃も今もまったく変わらず、そうするしか術がない現実を悲しく思います。
その答えは、今でも「風」に聴くしかないことが歯がゆいことです。