今朝、午前5時の下弦の月。
少し見上げたくらいでは見つかりません。顔を、首が痛くなるくらい天頂に向けたところにありました。
絶対に手が届かないお月様でした。
きのうの『光る君へ』の、特に冒頭はとても心に染みる話でした。
道長が、一心不乱に物語を書いているまひろを見つめながら、「オレの惚れた女はこういう女だったのか」と心の声が流れました。
どんな女だったというのでしょう。
それは、きのうのタイトルの「誰がために書く」が示しています。
一条天皇のために書き出した物語が、最早それはどうでもよくて、筆が勝手に動き出したのです。その心は、書きたいものを書くことであり、まひろが自分のために書く面白さを知った瞬間でした。
道長が、まひろが日々の暮らしのためにならぬことに嬉々としている様子を、にやけた眼差しで見つめる演出が面白いことでした。それが惚れ直しに通じたのかは、語られませんでしたが、私が男なら、おまえにはかなわないなぁ~と思ってしまうことでしょう。
だから、愛が濃くなったかどうかは、おとこおんなの私には不明です。
まひろのように物語を書く筆力のない私も、たまには、誰かに向けてお手紙を書きます。
私は結構その時間が好きです。なぜかというと、相手と二人っきりの世界に浸れるからです。
といいましても、恋文など書いたこともありませんから、生意気なことは言えないのですが。
昔はよく母の代筆を頼まれたものです。母が目の前で見張ってますから、気を使って書くことを訓練されました。
ここまでは、曽野綾子さんと少し似てるかな。彼女が物書きになったのは、お母様が作文を指導なさったからだと読んだ覚えがあります。
母親とは子どもの人生を左右するもの。我が子に申し訳ない思いがします。
先年、何回かお手紙した方から訊ねられたことがあります。
「手紙はどんな風に書いてるの?」
「えっ?その人の事を考えて書きます。何がお好きだったかなとか」
そうです。書く相手がきまっていると、想像は膨らましやすいもの。
まひろが今から挑戦するのは、自分の中に蓄えた想像の世界です。ドラマの演技に見られるように、決して苦行ではなく楽しくてしようがない、自分らしい表現。
それは、まひろの喜びの表現でありますが、どこかでお月さまを見て応援してくれている道長があってのことだと思うと、胸キュンです。