こころあそびの記

日常に小さな感動を

白髪

 

 酔芙蓉が花を付け始めました。よく見ると、花を取り囲むガクが鳥籠のようです。堅いガードを解いて咲く日が近づいてきました。

 

 

 今まで深く考えることもなく、毎月美容院通いをしてきましたが、待てよと、立ち止まる年齢になってしまいました。

 というのは、増えてきた白髪のことです。なかなかに手ごわい老いの現実です。

 この現実と、この先、何年間もうまくつき合っていかねばなりません。私が思い定めた方法は、美容院には申し訳ないけど、もう染めないことです。

 それには、難しい課題があります。

 毎日、笑顔ではつらつと過ごすこと。つかれた顔の白髪婆は汚らしいだけだからです。

 年をとるほど、どんな美しい造作より笑顔です。笑顔美人は不滅です。

 

 

 「白髪三千丈

   縁愁似箇長

   不知明鏡の裏

   何処得秋霜」

 

 李白の“秋浦歌”の中にあるこの歌が有名です。

 愁いとは秋の心。

 (五行では)白は秋の色。

 そして、霜降は中秋の二十四節気の一つです。

 物思いに耽ることと秋の関係を”白髪三千丈“にかこつけて収めた一編です。

 このように蓄えた知識を思い通りに使いこなせる人は稀です。でも、そんな博学ぶりが際立つ女性が平安時代にいたのです。

 現在、『源氏物語』と『あさき夢見し』を併読しています。

 

 

 さて、おばあちゃんの白髪はどうだったんだろうと、窓辺にほったらかしの写真立てを拭いてみたら、なんと、私より白髪が少ないではありませんか。

 巷では、親子ではなく、一代飛ばして、祖父母と孫が似た形質を受け継ぐといわれたりします。確かに、私のおばあちゃんはスーパーばあちゃんで、その分、苦労も多い人でした。

 よく動きまわったところは私に似てるけど、私の苦労は彼女よりも確実に少ないと思います。

 おばあちゃん、ありがとう。

 

 「過去に生きた人の未来を今生きる」

 明治の人たちが頑張ったおかげを使い切ることのない現代人でありたいし、今という過去が未来の人に希望のバトンであったと云われる今を走り抜きたい。

 いつか、おばあちゃんに会えたら、いっぱい甘えていっぱい泣けますように。それが、私の望みです。