こころあそびの記

日常に小さな感動を

薄雲

 

 日が翳り始めた田んぼの周りを走り回ってる子がいました。聞けば小学一年生だとか。持っている網は泥だらけです。

 「何を取ってるの?」

 「ヤゴ」

 「へぇ、ヤゴがまだいるんだ」

 横からお母さんが、

 「二、三日で逃がすんですけどね」と。

 そうと分かっていても息子に付き合うのが母の愛です。この時間が宝物になる日はずっと先でしょうが・・

 

 

 黄金色に色づき始めた田んぼの横の畑で、畝作りに励んでおられる男性と目が合いました。

 「こんばんわ。今度は何を植えられます?」

 「ジャガイモにしようかと」

 「楽しみです。でも、ジャガイモって秋に収穫するのでは」

 「いや、今蒔いて、年末から年明けに収穫するのもあるんです。そのころの方が、需要が多いんです。おでんとか・・」

 「なるほどね。それにしても、この土はいい土ですね。真っ黒です」

 「乾燥牛ふんを入れてます。このあたりは牧場がなくなったので、少し離れたところまで買いに行ってるんです」

 日没後の薄明は時間が限られているから、手を休ませて申し訳ない気持ちなのに、こんな話まで聞かせてくださいました。

 「ここは何年か前まで水田でした。しかし、稲が色づいてくるとあの電線にずらっと雀が止まりよるんです」

 なるほど、畑の横に電柱が立っています。

 「道を挟んだ田んぼに被害はないのに、この田んぼだけやられるんです。だから、諦めて畑にしました」

 そんな。お百姓さんはいまだに雀に悩まされておられることを知りました。

 それでも、

 「ここは、高台だけど下の方の土地より暖かいんです。日当たりがよくて、北側の山に守られて風も吹き付けない場所です」

と、誇らしく話される言葉に安堵しました。

 空の広さを感じられるこの場所が私も好きです。

 

 

 さて、漫画を読み慣れないので、『あさきゆめみし』もなかなか進みません。ところが、今日読んだ、『源氏物語』でいえば「十九帖 薄雲」の明石の君が娘と引き裂かれる場面や、藤壺との別れに、引き込まれました。

 大和和紀さんの心理描写と構成力を、角田光代さんが絶賛されている理由がわかりました。

 表現者とは、見えない人の心の奥底を引っ張り出すことができる人なんですね。